第2章:精霊人形がいる日常

(1)

〔廊下〕

主:おはよう、ルディ。

 

H:おはよう、アストリッド。

 

彼は笑顔で挨拶を返してくれた。

 

ルディが目覚めてから今日で3日目。

彼の笑顔は、いつもお日様みたいにキラキラしていて…私はちょっとドキドキしてしまう。

 

H:ねえ、アズ。

  今日はどんな予定なの?

 

主:そうね、今日はお天気がよさそうだからお洗濯をしようと思ってるわ。

  ルディは?

 

H:僕は…そうだな、今日は街に出てみようかな?

 

S:おっと、ルディ、それは禁止だ。

 

突然、会話に割り込んできた叔父さまに

 

H:サイラス。

  ……何でだよ。

 

ルディは口を尖らせた。

 

S:万が一にも、君の正体がバレるようなことがあっちゃ困るからね。

 

H:そんなヘマしないよ。

 

S:とにかく、1人で出かけるのはダメだ。

 

H:ふーん。

  サイラスは僕を籠の鳥みたいに、この屋敷にずっと閉じ込めておきたいんだ?

  僕が人形だから。

 

S:そういうわけじゃないよ。ただ、僕はまだ君のことをよく知らないからね。

  もう少し様子を見て、大丈夫そうなら1人での外出も許可するよ。

 

H:「許可」?

  オーナーでもない君に、許可を得る必要なんてないと思うけど?

  ねえ、アズ。君はどう思ってるの?

 

主:えっ。そ…そうね。

  私も、その…ルディが1人で出かけるのはちょっと心配だわ。

  ルディ、叔父さまは意地悪でこんなこと言ってるんじゃないのよ。

  私、今日は家のことをいろいろしたいから出かけられないけど、明日なら…。

  ねえ、叔父さま。私が一緒ならいいでしょ?

 

S:まあ、それなら…。

 

H:「叔父さま」「叔父さま」って。

  あーあ、僕のオーナーはどれだけ叔父さまが好きなんだろ。

  ファザコンって言うけど、君は叔父コンなのかな?

 

叔父コン……。

……………。

…たしかに、ちょっとそうかも…。

 

H:…あ、ごめんね。

  君があんまり彼の肩を持つから、ちょっと妬けちゃった。

  君が僕の外出に反対なら素直に従うよ。

  あーあ、外に出られないんじゃ、今日はどうやってヒマをつぶそうかなー。

 

〔ホブルディ退場〕

 

聞えよがしにそう言いながら、ルディは向こうに行ってしまった。

 

…ちょっと、機嫌損ねちゃったかな…。

 

S:……なあ、アズ。

  ルディってすごいよね。

 

主:え?

 

S:人間と全然変わらないじゃないか。

  今日は外出を禁じたけど、彼が言うように、本当のところその必要はなかったかもね。

  僕だって知らなければ、ルディが人形だなんて夢にも思わないよ。

 

……叔父さま。

 

S:でもさ、その“人間と変わらない”ってことが逆に心配でもあるよね。

  さっきはアズの意見に従ったけど、いざとなったらどうなのかな。

  “人形は人間に服従する”って文献には書かれていたけど、もしも人形が人間と変わらない心を持っているとしたら、それはありえないってことじゃないかな。

 

それは私も同感だった。

 

別に、ルディを家来にしたいわけじゃない。

だけど、私はルディのオーナーなのだ。

万が一にもルディが人を傷つけたりするようなことがあっては困る。

 

もちろんルディがそんなことをするなんて思ってない。

 

でも。

「人形は人間にとって素晴しいだけのものじゃなかった」

叔父さまのあの言葉を、私は忘れてはならなかった。

 

S:でもまあ、今のところ彼も僕らと友好的にやっていくつもりでいるみたいだし。

  ちょっと生意気な態度も…あのルックスのせいかな、困ったことに本気で腹を立てる気にはなれないよ。はは。

 

そう言って叔父さまは笑った。

 

 

〔裏庭〕

主:これでよし…と。

 

私は干し終わった洗濯物をながめた。

…あとは乾くのを待つだけだわ。

そう思って、お屋敷に戻ろうと空になった洗濯カゴを持ち上げたときだった。

 

主:きゃっ。

 

突風が吹いた。

 

主:えっ!

  あっ、大変!!

 

見ると、1枚のテーブルクロスが宙に舞い上がっていた。

  

あの1枚だけ、洗濯ばさみでとめるのを忘れたんだわ!

 

私はあわててクロスを追いかけた。

でもクロスは、右に左にあおられ、なかなか落ちてこなかった。

 

?:風向きを変えるよ、アズ!

 

えっ?

 

?:君のところに落とすから、受け止めて!

 

主:え?…あっ。

 

それまで、気まぐれに宙を泳いでいたクロスは、くるりとひとまとまりになり、差し出した私の腕の中に落ちてきた。

 

H:ナイスキャッチ!

 

主:ルディ!

 

振り返ると、そこにはルディがいた。

 

主:今の、ルディの仕業なの?

 

H:…まあね。

  僕は精霊人形だから、精霊を操ってあんなことができるんだ。

 

主:すごいのね、精霊人形って。

 

私は、初めて見る精霊人形の不思議な力に目を見張った。

風を操るなんて、人間にはとてもできないことだわ…!

 

H:ま、精霊を操れるっていったって、あんなお遊び程度のことしかできないけど…ちょっと面白いだろ?

  たとえば、こんなこととか。

 

そう言ってルディは右手を軽く振り上げた。

と、同時に私は足元に風が起こるのを感じた。

 

主:きゃっ!

 

私はあわてて、まくれあがろうとするスカートを押さえた。

 

主:もうっ、ルディ!

  子供みたいなことしないで!

 

H:あははっ…ごめんごめん。

  謝るから、そんなに怒らないでよ。

  今日は君の言うこと聞いて1日おとなしくしてるんだから、これぐらいの悪戯、許してよ。ね?

 

主:……………。

  …………もう。

 

ルディの無邪気な笑顔を見ていたら、なんだか怒る気もすっかり失せてしまい。

私は手にしたクロスをロープにかけ直した。

 

そして、空になった洗濯カゴを再び持ち上げたとき。

 

H:カゴは僕が持つよ。

  さ、屋敷に戻ろう。アストリッド。

 

そう言ってルディは私からカゴを取り上げ、空いた私の手を握った。

 

主:!

 

突然手を握られて、私はドキッとしたけど。

当然のように私の手を引いて歩き出したルディに、私は引かれるに任せて一緒にお屋敷へと向かった。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(2)

<一週間後>

 

〔リビング〕

ルディと暮らすようになって1週間。

 

まだたった1週間だったけれど、このお屋敷にルディがいること…それがごく当たり前に感じられるようになっていた。

 

〔呼び鈴〕

 

あ、お客様。

 

私は玄関に向かった。

 

〔暗転〕

………………。

 

 

〔暗転明け・リビング〕

玄関で1通の手紙を受け取った私は、リビングに戻っていた。

 

受け取ったときすでに確認していたけれど、表に書かれた名前を改めて読み返す。

 

“アストリッド・エイミス嬢”

 

私の名前だ。

裏返して、こちらも再び名前を確認する。

 

“アーヴィン・ベックフォード”

 

この手紙を届けたのは、男爵家であるベックフォード家に仕える従僕(フットマン)だった。

彼はそこのご子息から、この手紙を私に届けるよう言いつかってここに来たのだった。

 

でも私は、この男爵子息…アーヴィン様と面識はおろか、名前さえ知らない。

それなのにどうして手紙を…。

 

不思議に思いながらも、私は封を切って手紙を読みだした。

 

主:…………。

 

内容はお茶会への招待だった。

でも、問題はそれではなく、そのお茶会に集まるメンバーだった。

 

アーヴィン様は、私と同じく精霊人形のオーナーだという。

新しい精霊人形が目覚め、私の人形となったとことを知ったアーヴィン様は、ぜひ1度私たちに会ってみたいとお考えになって、このお茶会を催したとのことだった。

しかもこのお茶会には、他に2組の精霊人形とオーナーを招待している、と書かれていた。

つまりこのお茶会には、私たちを含めて4体の人形と、4人のオーナーが一堂に会する、ということになる。

 

〔ドアの開閉音・ホブルディ登場〕

 

主:ルディ。

  ねえ、これを読んで。

 

私は招待状を彼に差し出した。

 

H:何?

 

ルディは受け取ると、それに目を落とした。

 

H:……ふーん。

 

一通り読み終えたルディは。

 

H:君は行くつもりなの?

 

私は強く頷いた。

 

主:私、他の精霊人形に会ってみたい。

  ルディの他に精霊人形が3体もあったなんて知らなかったわ。

  もしかしてルディのお友達なの?

 

H:友達…?

  ま、知らない仲じゃないからね。一応そういうことになるのかな。

  もっとも、僕とはちょっと趣味が合わない人形たちだけど。

 

…………お友達はお友達でも。

あんまり親しい間柄じゃないのかな…?

 

お茶会は今日から3日後だった。

 

 

<3日後>

 

〔ベックフォード邸・外観〕

主:ここがアーヴィン様のお屋敷ね。

 

私は初めてやって来た男爵家のお屋敷を前に、少し緊張していた。

 

男爵子息アーヴィン様…いったい、どんな方だろう。

それに、貴族様のお茶会なんて初めてだし。

ルディは一緒だけど、本当は叔父さまにも来て欲しかったな…。

 

このお茶会のことを知ったとき、叔父さまは自分も行きたいと言った。

3体もの精霊人形に会えるのだ。誰だってきっとそう思う。

でも、招待を受けていない叔父さまが出席できるわけはなく、叔父さまはお留守番ということになった。

 

H:さ、行こう、アズ。

 

主:ええ。

 

ルディに促され、私はお屋敷に向かって歩き出した。

 

 

〔応接間〕

お屋敷に入ると、私たちは応接間に案内された。

 

そこではすでに招待客たちが集い、それぞれにくつろいでいたけれど。

この部屋は控えの間なのだろう。

テーブルには数種類の薔薇を活けた花器が置かれてはいても、お茶会のためのセッティングはされていなかった。

 

?:ふーん……お前が新しいオーナーか。

 

まだ落ち着かない気分でいた私の耳に、その声ははっきりと飛び込んできた。

 

?:……………。〔主人公を見ている〕

 

見上げた視線の先にあったのは、アイスブルーの瞳。

澄んだ青い瞳が、私をじっと見下ろしていた。

 

…なんて綺麗な瞳だろう…。

 

その瞳に宿る、涼しげな淡いブルーは。

遥か頭上に広がる空の色にも、小さくとも強い輝きを放つアクアマリンの色にも似ていた。

 

?:……お前、年はいくつだ?

 

主:え?

 

唐突な問いかけに、私は思わず疑問の声を上げていた。

 

?:お前、耳が遠いのか?

  それともこんな簡単な質問も理解できないほど頭が悪いのか?

 

私に向けられた彼の言葉は、思いがけなく辛辣なものだった。

 

………………。

…ちょっと聞き直しただけなのに…。

 

そんなに怒らせるようなことを言ったのかと私は戸惑い、そして不機嫌を隠そうともしないこの人を少し怖いと思った。

 

主:えっと…17歳…です。

 

?:ふん、ちゃんと聞こえてたじゃねえか。ならさっさと答えろ。

  ………しかし、17にしちゃあガキっぽいな。

 

うっ…。

ひそかに私が気にしていることを…。

私はいつも実際の年齢より幼く見られる。

それって、ようするに大人の女性…レディにはまだ程遠いってことよね。

レディには及ばなくても、せめて年相応に見られたい…。

 

?:でもまあ、そう思って見りゃあ…。

 

ふいに、それまで疎ましげだった彼の目が、からかうようなものに変わった。

 

?:出るところは一丁前に出っ張ってるみたいだな。

 

……え?

…ええッ!?

 

〔?退場〕

 

それだけ言うと、彼はもう私に興味はなくなったとばかりに行ってしまった。

 

今、なんだかすごく恥かしいことを言われたような…。

……………。

…あ、あんまり追究して考えないようにしよう…うん。

 

あ。

そういえば、彼の名前も聞かなかったけど。

彼はたぶん人形…よね。

 

燃え上がるような緋色の髪と、冷たく輝くアクアマリンの瞳。

相反する色彩に彩られた彼は、非の打ちどころなく美しかった。

 

社交辞令などどこ吹く風、といったその言動よりも、それが彼を人形だと思った最大の理由だった。

 

正直、項のネジをのぞけば、見た目だけで精霊人形と人間を区別することはむずかしい。

彼らは容姿が完璧すぎることを除けば、外見上は人間と何ら変わらなかった。

だからこそ精霊人形は、人目を恐れずに生活することができるのだけれど。

 

?:やれやれ。彼には困ったものだね。

 

落ち着いたやわらかい声。

たおやかなその声が聞こえた辺りに、私は顔を向けた。

 

?:お嬢さん、今の無礼を彼に代わって私がお詫びするよ。〔微笑んでいる〕

 

主:…………。

 

顔を向けて、私はそっと息を呑んだ。

“麗人”とは、きっとこういう人のことをいうのだ。

その人は、一瞬言葉を失うほど美しく、艶やかだった。

 

?:彼はウィル。

  ワイルダー家の人形だよ。

 

その美しい人はさっきの彼について教えてくれた。

 

?:彼はあれで情に厚く、心根の真っ直ぐな人形なのだが…それを素直に表すことがどうも苦手なようでね。

  困ったことに、誰に対してもあのような態度なのだよ。

  だから先程の君に対する無礼な言葉も、あまり深刻に受け止めないで欲しい。

 

話を聞きながら、私は知らずしらずのうちにうっとりとこの美しい人に見とれていた。

そしてその声から、私はこの艶やかな人が女性ではなく男性なのだということを知った。

 

……ああ、この美しさの前では、男とか女とか関係ないわね…。

 

私は何だか夢見心地だった。

 

?:そうだ、自己紹介がまだだったね。

  私はヴィクター・レドモンドの精霊人形、ジル。

  どうぞ、よろしく。

 

主:わ…私は、アストリッド・エイミス…ともうすま△※☆&

 

…………………。

噛んだ…。

 

ジル(以下G):ふふっ。お嬢さん、ずいぶん可愛らしい自己紹介だね。

       よかったらもう一度、君の名前を聞かせてもらえるかな。

 

私の言い損ないを「可愛らしい」と言った彼は、いっそうやさしい微笑みを浮かべ、さりげなく私にやり直す機会を与えてくれた。

 

そう…気を取り直して、最初から…。

 

主:…アストリッド・エイミスと申します。

  ジルさん、今日はお目にかかれて光栄です…。

 

……よかった。今度は噛まなかったわ…。

最初の挨拶でしくじるなんて、ちょっと自己嫌悪…。

 

G:「アストリッド」…美しい名前だね。

  どうぞこれからよろしく、アストリッド嬢。

 

主:こちらこそよろしくお願いします。

  ジルさん。

 

G:ふふっ。アストリッド。

  敬意を表してくれる心はありがたいが、私たち人形に敬語はいらないよ。

  ……ところでお嬢さん。

  慣れない場所で緊張するのはわかるが、今日は君たちが主役なのだから、もう少しリラックスしたほうがいいね。

 

そう言うとジルは、テーブルに置かれた花器から淡いピンクの薔薇を1本選び取り、それを私に持たせた。

 

G:その薔薇は特に香りが素晴しい品種でね。

  ちょっと嗅いでごらん。

 

ジルに勧められるまま、私はその薔薇の匂いを嗅いだ。

 

甘く、鮮烈な香り。

 

もう1度、今度はもっと深く吸い込んだ。

 

華やかで清々しいその香りは、私の内側を濯いで、薔薇色に染め上げるようだった。

 

G:どう?気に入ってもらえたかな?

 

主:ええ。

  とってもいい香り…。

 

私がそう答えると

 

G:そう、その笑顔。私が見たかったのはその顔だよ。

  可愛いお嬢さん、今日は1日、その愛らしい笑顔で過ごして欲しい。

 

そう言って彼は心からうれしそうに微笑んだ。

 

ジルが浮かべたその微笑みは、優雅で、艶やかで、美しく。

もしも薔薇が花開く瞬間を本当に目で見ることができたなら、きっとこんな風なのだろう…そんなことを思わせる微笑みだった。

 

G:じゃあお嬢さん、また後で。

 

主:え…ええ。

 

ジルが立ち去った後も彼の余韻はしばらく消えず、私は薔薇に酔ったような気分に浸っていた。

 

?:娘。

 

主:!

 

突然かけられた、低く、無表情な声に、私はドキッとした。

 

?:……………。

 

彼はいつからそこに立っていたのだろう。

思わず後ずさりたくなるほど、彼は私のすぐ側にいた。

黒い髪に濃紺のフロックコート。そして、白く冷たい光を放つ銀色の眼鏡。

彼のその姿は、この真昼にありながら「夜」を思わせた。

 

?:………………。

 

声をかけてきたはずの彼は、無言で私を見つめている。

私もまた、レンズの奥にある灰色の瞳から目を逸らせなくなっていた。

 

…ああ、彼はおそらく4体目の人形だ。

瞳に宿るのは鈍い銀光。従えるのは秘密めいた漆黒。

彼の美貌は完璧だった。

 

?:お前も招待客の1人だな。

  準備はできた。さっさと広間に行け。

 

主:えっ…?

  は…はい。

 

彼は私にそれだけ言うと、役目は終わったとばかりに行ってしまった。

 

……………。

……広間に行けって言われても。

…………………。

………広間はどこなの…。

 

H:やれやれ。ジャックの奴、あれで接客してるつもりなのかな?

 

そう言ったのは、いつの間にか私の側にやって来ていたルディだった。

 

ジャック…。

それが彼の名前なのね。

 

H:接客のひとつもロクにできないのに、彼はよく凍結されないよね。

 

つくづくあきれたとばかりにルディは肩をすくめたけれど

 

H:まあ、いいや。とりあえず行こう、アズ。

  行けば、まともな使用人がまともな接客をしてくれるはずだよ。

 

そう私に声をかけてドアへと向かい、私も彼の後に続いた。

 

 

〔街〕

H:……………。

 

お茶会は2時間ほどでお開きとなり、今、私はルディと2人家路についていた。

 

私は、まだふわふわした気分のまま、あの時間を思い返していた。

 

〔暗転〕

ジル。薔薇色の人形。

彼のオーナーは、ヴィクター・レドモンドさんだった。

見るからに紳士然とされていたレドモンドさんは、貴族でこそなかったけれど、ジェントリと呼ばれる貴族に次ぐ階級に属する方だった。

ご商売で大変成功された方らしい。

最低限の自己紹介をされた後、レドモンドさんはほぼ無言だった。

こういう社交の場は、あまりお好きではないのかもしれない。

 

そしてジャック。漆黒の人形。

彼のオーナーは、今日のお茶会の主催者、男爵家のご子息、アーヴィン様だった。

年齢は18歳。今日の出席者の中で、1番私と年が近い方ということになる。

アーヴィン様は、ずいぶん繊細な方のようだった。

アーヴィン様は、ご自分が催されたお茶会だというのに、誰に話しかけられてもうまくお言葉が返せず、ずっとおどおどとしたご様子でいらっしゃったのは、見ていて少し心配になるほどだった。

ただ、やはり新しい精霊人形とそのオーナーには興味を持たれたようで、その視線は、ルディと私に多く注がれていた。

そんなアーヴィン様は終始ジャックにべったり…という感じだったのだけれど。

ジャックの方は淡々としたもので、アーヴィン様を甘やかすわけでもなければ、邪険にするわけでもなかった。

気はとても弱そうな方だったけれど、きっと悪い人ではないわ。

 

そしてウィル。緋色の人形。

彼のオーナーはこのお茶会に出席していなかった。

ウィルによると、体調がすぐれなかったためにやむなく欠席したとのことだった。

ただ、それ以上ウィルが自分のオーナーについて語ることはなく、結局彼のオーナーがどんな人物なのか、私はまったく知ることが出来なかった。

今日は会えなくてとても残念だったけど…きっと、そのうち会えるわよね…。

 

新しい3体の精霊人形とそのオーナー。

ああ。これからも今日みたいにみんなで一緒に過ごすことができたら、本当にうれしい。

私は胸が躍るのを抑えられなかった。

 

主:ねえ、ルディ。

  またこんなお茶会を持てたら素敵ね。

 

H:んー…、そうだね。

  でも、今日みたいにほぼ全員集まるのはむずかしいんじゃないかな。

 

主:どうして?

 

H:僕はパーティーって嫌いじゃないけど、社交家とは程遠い人物も何人かいたみたいだからね。

  今日は新しい精霊人形とオーナーのお披露目みたいなものだったから、特別に顔を出したってとこじゃない?

 

そこまで話したところで、ふいにルディは立ち止まった。

 

主:…ルディ?

 

ルディの視線の先に、私も目をやる。

 

そこには美しい青年が立っていた。

端整な顔立ち。銀色の長い髪。ルビーを思わせる真紅の瞳。

 

…真紅の瞳?まさか…!?

 

?:久しぶりだな。ホブルディ。

 

ルディの知り合いと言うことは、やっぱり彼も人形…ということ?

 

H:やあ、イグニス。

  そうだね、こうして君と会うのも何年ぶりかな?

  ところでさ、僕の凍結が解かれたのをみんなに知らせたのは君だよね?

 

「凍結」…?魂が入っていない、いわばただの人形のときのこと…よね。

ということは、「凍結が解かれる」とは、人形を目覚めさせることね…きっと。

 

イグニス(以下I):そうだ。それも私の仕事のうちだからな。

         しかし、それよりもだ。

 

イグニス…そう呼ばれた、おそらく5体目の精霊人形は私を見た。

 

I:お前がホブルディの新しいオーナーか。

 

主:…はい。

 

イグニスはじっくりと私を見た。

今日はいったい何度目だろう。こうして人形の視線にさらされるのは。

 

I:この娘がオーナーの座についたのなら…。

 

私が、オーナーの座についたのなら?

 

I:人形たちの運命が動き出すかも知れんな。

 

H:……!

 

〔イグニス退場〕

 

そう言い残し、イグニスは私たちの前から立ち去った。

 

イグニス。銀色の人形。

彼のその姿は、この夏の季節にあってなお、真冬の夜空に浮かぶ月を思わせた。

冴え冴えと美しく……そして冷たかった。

そして、彼の去り際の言葉。

あれは…。

 

主:…ルディ、彼も人形なんでしょう?

 

H:うん、そうだよ。

 

主:ねえ、“人形の運命が動き出す”って…どういうこと?

 

H:…………。

  ……さあ?イグニスの言ったことを僕に聞かれても答えようがないよ。

  それよりさ、ちょっと公園に寄っていかない?

  今日はたしか大道芸人が集まってたはずだよ。まだ、何かやってるんじゃないかな?

 

主:でも、そろそろ家に戻らないと…。

 

H:サイラスのこと?

  大丈夫だよ、ほっといても。子供じゃないんだからさ。

  行こう、アズ。

 

主:え?…ちょっ…。

 

ルディは私の手を取ると、返事を待たずに歩き出した。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(3)

〔キッチン〕

夕食の後片付けを、私はルディとしていた。

ルディが食器を洗い、私がクロスで拭く。

 

これまで、叔父さまがいる間の家事はデイビスさんが請け負ってくれていた。

だけど、ルディの正体を知られることを心配した叔父さまは、しばらくは家の中に人を入れないことにした。

 

私もそれには賛成だった。

もしもルディの正体が世間に知れたら…きっとこんな風にのんびり暮らすことはできない。

 

でも、実のところ家事はかなりの労働だ。

家政婦さんに入ってもらえないとなると、雑事すべてを自分たちでやらなくてはならない。

もちろん、私はそのつもりだった。

寮生活となった今はあまり必要がなくなってしまったけれど、お爺さまの元に身を寄せる前はお母さんに習いながら私も一緒に家事をしていたのだ。

だから一通りのことは身についている。

叔父さまに家事をやってもらうつもりはなかった。

叔父さまはお仕事で忙しいんだもの。この上、家のことまでなんてさせられない。

ごく日常的なことくらい私1人で何とかやれるわ。

そう思っていたんだけど。

 

叔父さまはルディに家事を手伝ったらどうかと言った。

もちろん、人手を増やすことが1番の理由だったろうと思う。

でもそれだけじゃなく、叔父さまはルディをお飾り人形のようにただ遊ばせておくのは惜しいという気持ちがあって提案したようだった。

 

この話を持ちかけられたとき、ルディは到底乗り気には見えなかった。

 

〔回想・リビング〕

H:…そんなの、人を雇えばいいじゃないか。

  四六時中この屋敷に他人が入ってたって、僕は自分の正体を露呈するようなヘマはしないよ。

 

S:ま、そうかもしれないけどね。

 

叔父さまは意外とあっさり認めた。

 

H:だったら。

 

S:君は正体を隠して暮らすなんてお手のものかもしれないけど、僕たちは精霊人形ビギナーなんでね。

  君のヘマはなくても、僕たちの不注意でバレることだって大いにあるだろ?

  それに、君にしろ、僕たちにしろ、とにかく家の中に他人の目はない方が気楽だってことは言えるんじゃないかな。

 

H:…まあ、それは…そうだね。

 

S:別にこの先ずっと人を雇う気がないってわけじゃないし。

  君に家事のすべてを押しつけようってわけでもない。あくまでアズが中心だ。

  どの程度のことが人形の君にできるのかまったくわからない以上、僕たちとしても“お手伝い”ぐらいの方が安心だしね。

 

H:……なんか、ちょっと引っかかる言い方だね。

 

叔父さまの物言いにルディは敏感に反応し

 

S:そうかな?

 

叔父さまはそれを軽く受け流した。

 

主:……えーと…。

  ねえ、ルディ。私は、叔父さまが家政婦さんを入れないって決めたからには、このお屋敷の家事は自分の仕事だって思ってるの。

  でも、ルディに手伝ってもらえれば、とても助かるし、ありがたいわ。

 

H:………………。

  …………。〔ため息〕

  家事なんて、人形本来の仕事じゃないと思うけど。

  …ま、君がよろこんでくれるなら、引き受ける価値はあるかな?

 

こうして、ルディは家事を手伝ってくれることになったのだった。

 

〔回想明け〕

そんなことを思い出しながら、私はお皿を拭き続けた。

そして、最後の1枚に取りかかろうとしたとき。

 

H:……ねえ、アストリッド。

 

一足先に仕事を終えたルディが話かけてきた。

 

H:念のために確認しておくけど…今日が何の日か忘れてないよね?

 

主:大丈夫よ。今日は“接蝕日”ね。

 

接蝕日。

それは、オーナーが自分の魂を精霊人形に提供する日。

“魂の提供”…それは精霊人形を生かし続けるために必要不可欠な行為だった。

 

器に擬似魂が宿ることで精霊人形は生を得ている。

擬似魂とは、人間が人形に命を与えるために作り出した人工的な魂だ。

生き物に宿っていない霊体…精霊から作られているという。

 

でも擬似魂は、人間が持つ本物の魂に比べ不完全で、擬似魂単独では器に宿り続けることができない。

そのため宿り続ける定着力とでもいうべき力を、擬似魂は人間の魂からわけてもらう必要があった。

 

人形は、自分の擬似魂をオーナーに移し、オーナーの魂から定着力を取り込む。

そうして再び定着力を得た擬似魂を器に戻らせて、人形は生命を保つ。

この行為を“接蝕(せっしょく)”と言う。

 

接蝕は、生き物が持つ生理的欲求…例えば、食欲とか、睡眠欲とか、そういうものを持たない精霊人形が唯一持つ、身体的欲求だった。

そして接蝕の相手はオーナーに限られた。

自分を目覚めさせた人間でなくては、人形は擬似魂を移動させることができない。

 

そしてこの定着力は一定時間を過ぎると低下してしまうため、接蝕は定期的に行う必要があった。

周期は2週間。

もし接蝕を怠れば、擬似魂は器から流出して、精霊人形は凍結状態…つまり、ただの人形に戻ってしまう。

そのため精霊人形とオーナーにとって、接蝕は何より大切な行為だった。

 

ルディは今日、その“接蝕日”を迎えていた。

 

主:接蝕の要領は、ルディを目覚めさせたときと同じでいいの?

 

H:……うん、そうだよ。

 

私はすべてのお皿を拭き終えていた。

これからこのお皿を食器棚に戻さなくちゃならないんだけど…。

 

主:じゃあ、そろそろ始めたほうがいい?

 

H:…僕はそうしてもらいたいな。〔伏し目がち〕

 

…ルディ、なんだか元気がないのね。

 

H:……………。

 

昼間はいつもと変わらない様子だったのに、今のルディはただ気怠げだった。

 

ルディに元気がないのは、もしかして接蝕を控えているせい?

 

ルディの様子は、叔父さまから聞いた精霊人形に関するある話を私に思い出させた。

彼の覚醒以後、叔父さまはより本腰を入れて精霊人形について調べていた。

 

精霊人形は擬似魂の定着力が弱まってくるにつれて、精神も不安定になるのだそうだ。

“精霊人形はオーナーに服従する”

この記述は、特にこの時期の人形のことを指しているらしい。

人形の、この精神不安定状態は霊体の不安定化によるものだ。

だから、通常霊体が不安定になることがない人間には感じることができない感覚なのだそうだ。

簡単に言うと、精神の安定を欠いた人形は自我が極度に弱まり、結果、自分の生命の拠り所であるオーナーに服従せざるをえなくなる…そういうことらしかった。

裏返せば、霊体が安定している普段の人形は人間と変わらない精神状態であるから、オーナーに従わなくても不思議はない、ということでもあった。

 

主:じゃあ、始めましょう。

  えっと、場所は…、ルディのお部屋でいい?

 

H:うん。

 

そう答えたルディの顔に、ほのかに安堵の色が浮かぶ。

ルディは微笑んでいた。

だけど、ルディのこんな気怠げな微笑を見るのは初めてかも…。

 

 

〔ルディの部屋〕

H:………………。〔浮かない顔〕

 

このお屋敷には使っていない部屋がいくつもあった。

もともと叔父さま1人で暮らすには広すぎるお屋敷なのだ。

叔父さまは留守がちなこともあって必要最低限の部屋しか使っておらず、ほとんどの部屋は手つかずになっていて。

その空き部屋の一室を、ルディは自室用としてあてがわれていた。

 

〔ドアの開閉音〕

 

S:いよいよ始めるんだって?

 

H:…サイラス!

  ……オーナーでもない君が、なにしに来たわけ?

 

ルディはそう言って叔父さまを睨んだ。

 

主:叔父さまも見学したいんですって。…ダメ?

 

H:………………。

  …君の頼みじゃ、嫌って言えないよ…もうっ。

 

ルディ、ちょっと怒ってる…?

でも、とりあえず許してもらえたみたい。

 

主:じゃ、始めましょう。

 

H:………うん。

 

そう答えると、ルディは私の前で体を屈め、立て膝をした。

床に片膝をつけた彼の目線は、私のつま先にあった。

その伏せた目に、私は初めて“人形の従順”をルディに見たような気がした。

 

ルディの額に、私は左手のひらを置いた。

 

冷たい肌。

そう、彼は人形だから体温はない。

今更のように私はそう思った。

 

そして、私は目を閉じた。

 

〔暗転〕

意識をルディに向ける。

 

ルディ…私はここよ…。

 

私はルディに呼びかけた。

 

ルディ…。

 

ルディ…。

 

…………。

 

……。

 

と、間もなく。

奇妙な感覚が私を襲った。

 

“乾く”とでもいうのだろうか。

冬、乾燥で手や唇がひび割れることがある。

あれが内側で起こっているような…。

苦痛…と言うほどではなかったけれど、どちらかと言えば不快な感覚だった。

 

どのくらいそうしていただろう。

その感覚が収まったところで、私は目を開けた。

 

〔暗転明け〕

ルディは目線こそ私の顔のあたりに向けていたけれど、姿勢は片膝をついたままだった。

 

主:ルディ…?

 

声に出して呼びかけてみる。

 

主:ルディ?

 

ルディは返事もしなければ、微動だにしなかった。

 

S:終わったんじゃないかな?

 

主:そ、そうね。ルディが言ってた通りだもの。

 

私はルディの額から手を離した。

 

接蝕を終えた精霊人形は、霊体の安定のためしばらく休眠状態になる。

これは人間でいうところの、いわば睡眠のようなものだった。

ただ、人間の睡眠と違って、休眠中の人形は、呼びかけたり、叩いたり、それこそ何をしても目を覚まさないらしい。

つまり、今、ルディは“ただの人形”なのだった。

 

私は改めてルディを見た。

 

H:………………。〔無表情〕

 

相変わらず美しかった。棺を開けたその日のままに。

 

でも、いかに美しくとも。

今、この人形に生命の痕跡は感じられなかった。

 

硬直した体。結ばれたきりの唇。そして、開いているのに何も見ていない目。

人形然とした彼は、部屋を飾る静物の1つとなって私の足元に膝をついていた。

 

“生きている”ルディを知っている今の私にとって。

すべてが停止したこのルディは“眠っている”というよりも“死んでいる”ように見えた。

 

“朽ちることない死体”…それが精霊人形という器の本性ではないだろうか。

その“死体”に、一時生命が宿る。人間によって、かりそめの命が。

 

私はこれからこの人形をどうしていったらいいのだろう。

 

正直、不安だった。

ルディを生かし続けることが、ではない。

ルディは私をからかったり、叔父さまに口答えしたりすることもあるけれど。

そんなところも含めて、明るく、陽気な人形だった。

 

そんなルディに感じた私の不安とは。

漠然としすぎていて、うまく言葉にできないのだけれど…。

しいて言うなら“精霊人形という存在そのもの”だろうか。

 

…………でも。

それと同時に。

 

私は、自分の心がこの精霊人形というものに、強く惹きつけられていることを感じずにはいられなかった。

 

 

第3章