第3章:精霊人形という身上

(1)

〔街〕

私は1人、街を散策していた。

 

お店やオフィスが立ち並ぶこの通りを行き交う人は多く、街はにぎわっていたけれど。

散策にふさわしいのどかな空気もどこかしら漂っていた。

 

叔父さまのお屋敷に来たのが4年ぶりなら、この街を歩くのも4年ぶりということになる。

 

おぼろげな記憶と目に映る景色を照らし合わせながら、私は足の向くままに歩き続けた。

 

休眠を終えたルディは、まるで何事もなかったようにいつものルディに戻っていた。

明るくて、陽気で、ちょっと大げさなくらい感情表現が豊かで。

そして、輝くような笑顔を惜しみなく振りまくルディに。

 

接蝕は、私にはとても不思議で奇妙な体験だったけど、精霊人形のルディにとってはごく当たり前の行為だからだろう。

目を覚ましたルディが、あの行為について何か口にすることはなかった。

 

私は元に戻ったルディにほっとしながらも、あの気怠げなルディにも、なんだか、少し、心が動かされた。

 

……なんて、思っちゃダメかな?

だってあの日は、本人の意志がうまく働かない特別な日なんだから、そんな風に思うのはいけないのかも…。

 

そんなことを考えながら歩いていると、シロップの入った瓶と果物を並べた露店が目にとまった。

 

……ちょっと、喉が渇いたな…。

 

私はそこで、レモネードを買った。

 

店先に並べられた椅子にかけ、私はレモネードを飲みながら通りをながめていた。

 

足早な人、立ち止まっておしゃべりしている人、重そうな荷物を抱えた人。

子供たちは笑い声を立てながら駆け回り、馬車が走り抜けて行った。

 

主:!

 

私は人波の中に、際立って美しい横顔を見つけた。

 

G:…………。

 

それはジルだった。

 

G:!〔主人公と目が合う〕

 

と、ジルも私に気づき、こちらへ歩いてきた。

 

G:お嬢さん、お茶会以来だね。

 

ジルは初めて会ったあの日と同じ、うっとりするような微笑みを浮かべていた。

 

主:こんにちは。

  この間はとても素敵なお茶会だったわね。

 

G:ああ、そうだね。私も楽しく過ごさせてもらったよ。

  ……ところで、今日は1人なのかな?

 

主:ええ。ジルは?

 

H:私もそうなんだ。

  ああ、隣にかけてもいいかい?

 

主:ええ。

 

ジルは椅子に腰かけた。

 

G:…唐突な質問だとは思うが、アストリッド。

  君は、ヴィクターにどんな印象を持ったかな?

 

主:え?レドモンドさんのこと?

  ……そうね…。

  落ち着いていらして、とても紳士的な方だと思ったわ。

 

終始、ご自分から会話に加わることなく過ごされたレドモンドさんのご様子を思い出しながら、私は答えた。

 

G:……………。

  “落ち着いていて”“紳士的”。

  好意的に見ればそう見えただろうね。

  彼は多くを語らなかったから。

 

主:…?

 

G:アストリッド。

  今、彼の心は、闇に向かっているのだよ。

 

主:え?

 

レドモンドさんの心が闇に向かっている…?

 

G:ヴィクターには、今度11になる娘がいてね。

  その娘を半年ほど前に病で失ったんだ。

 

主:…そうだったの?

 

初めて聞く話だった。

 

主:それは……本当にお気の毒ね。

  きっとまだ、寂しいお気持ちが癒えないでいらっしゃるのね…。

 

私は、両親を亡くしたばかりのころの自分と重ね合わせていた。

あのころ私も、とても悲しくて、とても辛くて、とても寂しかったけれど。

自分より先に逝ってしまった娘さんを、レドモンドさんはどれほど悲しく思っただろう…。

 

G:愛する者を失った悲しみは私にもわかる。

  人形にとって、オーナーの悲しみを癒すのも大切な仕事のひとつだ。

  彼の慰めになるなら何でもしよう…私はそう思っている。

  ……しかし。

  ……………。

 

「しかし」と言ったきり、ジルは口を閉ざした。

 

G:……………。〔沈んだ顔〕

 

ジルは何を言おうとしているのだろう。

そういえばさっき、レドモンドさんの心が闇に向かっていると言っていたわ。

“心が闇に向かう”……。

それは、娘さんを失って、とても心が沈んでいるということだろうか?

それとも、もっと違う意味が込められているの…?

 

そんなことを考えていたときだった。

1台の馬車が私たちの前で止まった。

 

G:マスター。

 

ジルは立ち上がった。

 

馬車にはレドモンドさんが乗っていた。

 

ヴィクター(以下V):ジル。こんなところで何をしている。

           お前には、いくつか用事を言いつけておいたはずだが。

 

…レドモンドさん、少し怒ってらっしゃる?

 

G:申し訳ありません。マスターがそのようにお急ぎとは存じ上げなかったもので。

  戻り次第、至急致します。

  では、アストリッド。私はこれで失礼するよ。

 

ジルは簡単に別れの挨拶をすると、馬車に乗り込もうとした。

そのとき。

 

V:エイミス嬢。君も来るがよかろう。

  馬車に乗りたまえ。

 

主:え?

 

突然のお誘いに私は驚いた。

だって。

 

V:………。〔無表情〕

 

歓迎してくださっているようにはとても見えないわ…。

……レドモンドさんはどういうおつもりなの?

 

V:都合が悪いのかね?

  そうでなければ乗りたまえ。

 

私に、お誘いを断る理由はなかった。

 

 

〔レドモンド邸・応接間〕

応接間に通された私は、とても落ち着かない気分でソファに座っていた。

 

V:……………。

 

私の正面には、レドモンドさん。

 

G:……………。

 

そしてジルは、ソファにかけていらっしゃるレドモンドさんの脇に控えていた。

 

V:エイミス嬢。君は精霊人形をどう思っているのだね?

 

…………?

 

「精霊人形をどう思っている」?

 

“どう”って……。

 

私は、ルディを思い浮かべた。

 

きらきらした笑顔のルディ。

 

不思議な力で風を操るルディ。

 

私をからかうルディ。

 

叔父さまの前で、ちょっとすねた顔を見せるルディ。

 

接蝕日の気怠げなルディ。

 

ただの人形のルディ。

 

………………。

 

“人形をどう思っている?”

 

どう、答えたらいいのだろう…。

 

私にとってルディは…。

 

私はルディを…。

 

主:……………。

 

V:答えられないのかね?

 

答えあぐねている私にしびれを切らしたのだろうか。

レドモンドさんは私より先に口を開いた。

 

V:ならば、私が教えよう。

 

……?

 

V:精霊人形は人間の奴隷だ。

 

主:…!?

 

G:……………。

 

V:私たち人間をはじめ、命あるものはすべて神が創造されたものだ。

  犬・猫・馬・鳥・魚……虫や植物にいたるまで、すべての生物は、神によって生命を与えられているという点においては平等だ。

  しかし、人形は違う。

  人形は、その器も、魂も、人間が人間のために作ったものだ。

  よって、彼らは、家畜や虫けら以下だ。彼らに生命の尊さなど認められない。

  生まれながらの奴隷なのだ、人形は。

  そうだな、ジル。

 

G:……はい。〔暗い表情〕

 

主:…………!

 

“人形は人間の奴隷”

 

何て…。

 

何て、嫌な言葉だろう。

 

……………。

 

…………………。

 

…レドモンドさんは。

 

レドモンドさんは、ジェントリで…、立派な紳士でいらっしゃって…。

 

……でも。

 

主:レドモンドさん。私は…違うと思います。

  私は、精霊人形を人間の奴隷だなんて思いません。

 

V:…ふん。

  君が自分の人形をどう扱おうが自由だろう。

  しかしだ。オーナーが人形を奴隷にできることは事実だ。

  人形は、自分の手足として使うことが可能なのだよ。エイミス嬢。

 

人形を…ルディを自分の手足のように使う。

そんなこと…。

もしそれができるとしても私は…。

 

主:…レドモンドさん。私は、人形を奴隷にしたいなんて思っていません。

  人形を奴隷にしても…私は…私は少しもうれしくなんかありません。

 

G:…!

 

V:…………。

  なるほど。なかなかの模範解答だ。

  君は清らかな心の持ち主なのだな。

  そんな心が宿る肉体ならば…娘も喜ぶだろう。

 

え?

“娘さんが喜ぶ”?

…どういう意味?

 

V:ジル。その娘を殺せ。

 

G:えっ?

 

V:彼女を殺すんだ、ジル。

 

主:!?

 

G:マスター、今、何と…?

 

V:もう一度だけ言う。

  この娘を、今、この場で殺せ。

 

ジルは私を見た。

私もジルを見た。

 

私たちは目で通じ合った。

“レドモンドさんは、本気だ”

 

G:マスター、何故突然、そのようなことを…!

  人形の私が人間を殺めるなど、できるわけがありません…!

 

V:ジル、お前はオーナーである私の命令に従えないと言うのか?

 

G:…………!

 

レドモンドさんのあまりに唐突な命令に、ジルは困惑しきっていた。

 

私は…私はどうしたらいいの?

ジルがレドモンドさんの命令に従うなら…私は、ジルに殺されてしまう!?

 

G:…………………。

  ………マスター。

 

ジルが、苦しげに口を開いた。

 

G:……マスターには、何か深いお考えがおありなのだろうと思いますが…。

  ………………。

  …私にはできません。

  命ある少女を手にかけるなど…どうかそれだけはお許し下さい…。

 

V:ジル、私の命令に逆らうというのだな。

  卑しい人形の分際で。

 

G:いえ…そのようなつもりは決して…。

 

V:どう言い繕おうが、つまりはそういうことであろう?

 

G:………。〔ため息〕

 

オーナーとしての立場を誇示するレドモンドさんに対して、ジルは返す言葉を失っていた。

 

V:ふん……まあ、よかろう。

  お前がどうしてもできないと言うのなら、今の命令は取り消してやろうではないか。

 

G:…ありがとうございます。

 

ジルは安堵の表情を浮かべた。

 

…とりあえず、安心して…いいのかな。

 

V:しかしジル。

  お前には、私に背いた罰を受けてもらう。

 

G:!

 

え?

「罰」?

 

V:いいな。

 

G:……承知しました。

  人形の身でありながら、オーナーの命令を拒んだからには…当然の報いと思ってお受けします。

 

「承知する」って…そんな…。

ジルは悪くないのに…!

 

V:エイミス嬢。

 

主:は…はい。

 

突然自分の名前を呼ばれ、私はドキッとした。

 

V:…君はまさか、私がジルに下した命令を本気にしてはいまいね?

 

………?

 

V:さっきの命令はジルの忠心を試しただけだ。

  もしもジルが私の命令に従おうとしたならば、私は止めるつもりだった。

 

………………。

………そう、よね…。

人殺しなんて…そんなこと…本気で命じるわけないわ…。

 

私は自分にそう言い聞かせたけれど。

レドモンドさんへの不信感を完全に消すことはできなかった。

 

V:さあ、そろそろ引き取ってもらおうか、エイミス嬢。

  これから人と会う約束をしているものでね。

 

〔暗転〕

私は、レドモンドさんのお屋敷を出た。

 

 

〔暗転明け・街〕

家路をたどりながら、私はさっきの出来事を思い返していた。

 

さっきの出来事。

レドモンドさんがジルに私を殺すよう命じたこと。

 

レドモンドさんはあの無茶な命令の理由を「ジルの忠心を試すためだった」とおっしゃった。

もしその言葉通りなら…なんて酷い試験だろう。

 

………だけど。

本当にジルを試すことが目的だったのだろうか?

そういえば。

レドモンドさんは、私の体なら娘さんが喜ぶと言ったわ。

娘さんって、亡くなった娘さんのことよね…。

 

……………。

 

考えたところでわからなかった。

 

でも、それ以上に気になることがあった。

レドモンドさんはジルに罰を与えると言った。

レドモンドさんは、ジルに何をするつもりなんだろう…。

 

 

〔屋敷・リビング〕

H:……………。

 

S:それは酷い話だな。

 

私は、今日の出来事を叔父さまとルディに話した。

 

S:そもそも命令の意味がわからないよ。いきなり人を殺せだなんて。

  そりゃあ困っただろう、人形の彼も。

 

主:ええ。ジルが拒否してくれたから事なきを得たんだけど…。

  でも、レドモンドさんも本気じゃなかったとおっしゃっていたわ。

  ジルの忠心を試すためだったって。

 

S:だとしても、言っていいことと悪いことってあるだろ?

 

主:……………。

 

S:そういう偏屈なオーナーだと、人形も苦労するよね。

  なあ、ルディ?

 

H:………………。

 

話しかけた叔父さまに、ルディは答えず。

 

H:………………。

 

〔ルディ退場・ドアの開閉音〕

 

そのままリビングを出て行ってしまった。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(2)

〔主人公の部屋〕

今日は朝から雨だった。

私は雨音を聞きながら、クローゼットからレインコートを取り出した。

 

 

〔廊下〕

部屋を出た私は、玄関に向かっていた。

 

H:あ、アズ。

  こんな雨なのに出かけるつもりなの?

 

主:ええ。

 

たぶん身支度でわかったのだろう。

私はレインコートを着ていた。

 

H:もしかして、ジルのところ?

 

私は頷いた。

 

主:レドモンドさんはジルに罰を与えるっておっしゃったわ。

  私、昨日からずっと気がかりで…。

  たぶん私が心配するほどのことはないって思うわ。でも…。

 

H:…………。

  僕も行くよ。

 

え?

 

H:お茶会のとき思ったんだけど。

  ヴィクターってさ、気難しそうで、なーんかヤな感じだったんだよね。

  何が気に入らないんだか知らないけど、ずっとしかめっ面でさ。

  そんなに嫌なら、最初から出席しなきゃいいのに!

  なんて思ってたら、昨日の話だろ?

  そんなヤツのところに君を1人で行かせられないよ。

  ……それに、ジルのこともちょっと気になるしね。

 

ルディ…。

そうよね、ジルはルディのお友達だものね。

 

H:じゃ、行こう。アズ。

 

 

〔レドモンド邸・外観〕

…とにかく来てしまった。

だけどよく考えたら、ジルに会わせてもらえるのだろうか?

と、思ったのだけれど。

特に問題なく、取り次いでもらえた。

 

〔レドモンド邸・アプローチ〕

雨の中、傘をさした私とルディは、お屋敷に続くアプローチを歩いていった。

 

雨は静かに…そして途絶えることなく降り注いでいる。

 

この様子じゃ、今日は1日雨ね…。

 

そんなことを考えていたとき。

私は、茂みの向こうに立っている人影に気づいた。

 

G:……………。〔無表情・虚ろな目〕

 

主:ジル!

 

ジルはこの雨の中、傘もささずに立っていた。

 

私は思わずジルに駆け寄った。

 

主:ジル、こんなところで何をしてるの?

  ……こんなに濡れて…。

 

G:……………。〔無表情〕

 

主:……?

  ジル?私の声、聞こえてる?

 

ジルは私の声にまったく無反応だった。

それどころか、ジルは私と目を合わせようともしない。

 

これはまるで…休眠中みたい。

ジルは休眠中なの?でも、こんな場所で?

 

G:……………。〔目を閉じる〕

 

………?

目を閉じた?

 

休眠中の人形は目を閉じない。

ということは、ジルは休眠中ではないということになる。

 

じゃあ、ジルはいったいどうしてしまったというの…?

 

H:アズ。これがたぶんヴィクターが言ってた“罰”だよ。

 

主:え。

 

H:雨の中に放置って罰。

  要するに頭冷やせってことじゃない?

  殴るとか蹴るとか、アグレッシブな罰とは逆の、ネグレクト的な罰だよね。

 

ルディは残酷なことを平然と口にした。

 

H:ま、とにかく今のジルに何を言っても無駄だよ。

  ジルをなんとかしたいと思うなら、彼のオーナーに会わなきゃダメだ。

  行こう。

 

そう言うとルディは歩き出した。

 

主:え?…でも。

 

H:……………。

 

まだ戸惑っている私をよそに、ルディはさっさと行ってしまった。

 

ジルのことは心配だったけれど、今はルディに従った方がよさそうだった。

 

 

〔書斎〕

V:今日は何の用かね?

  仕事中なものなのでね。できるだけ手短に済ませてもらいたいのだが。

 

デスクの向こうから私を見ているレドモンドさんは不機嫌そうで、とても話しづらい雰囲気だった。

 

でも、ちゃんとお話ししなくちゃ…。

そのために私はここに来たんだもの。

 

主:お忙しいところ、申し訳ありません。

  …えっと…、その…今日はジルのことで…。

  ……………。

  あのっ。

  来る途中、庭先でジルに会いました。

  どうしてあんなところにジルは立っているのですか?

  それに様子もなんだかおかしくて…。

 

そう。私が1番気になったのは、ジルの様子がおかしかったことだ。

心ここにあらず…ジルはまさにそんな感じだった。

 

V:……ふん。君はまだ人形のことをよく知らないのだな。

  ならば教えてやろう。

  もっとも、人形側は知られたくないことだろうがね。

 

H:……!

 

V:人形を目覚めさせるとき、項のネジを締めたであろう?

  そのことでもわかるように、あのネジは魂の固定に関与しているネジだ。

  魂の定着には、奥まで締めなくてはならん。

  逆に魂を抜きたければ、ネジを抜けばよい。つまり、強制的に人形を凍結することもあのネジ1つで可能なのだ。

 

たしかにルディを目覚めさせるとき、ネジを締めたけれど。

あのネジを抜くことで精霊人形を…ルディを凍結できるなんて知らなかった。

 

V:そしてネジを半開きの状態にすると、霊体が不安定になってああなるのだ。

 

雨の中、仮面のような顔で佇むジルが、私の頭に甦った。

 

あの無表情も、あの虚ろな瞳も。

レドモンドさんによって、霊体の安定を…ひいては心身の自由を奪われていたせいだったのだ。

 

V:ただし、魂を宿した人形のネジを開け閉めできるのは、オーナーに限られるがね。

 

「オーナーに限られる」

 

…また、オーナーだけ、なのね。

オーナーは自分の人形に対して、なんて重い権限が与えられているのだろう。

 

主:あの…レドモンドさん。

  ジルがあのような罰を受けているのは、私のせいなのでしょうか?

 

事の発端は昨日の出来事なのだ。

レドモンドさんの、あの無茶な命令の真意はわからないけれど…とにかく私と無関係なはずがない。

 

V:…………。

 

主:私に何か失礼があったとおっしゃるなら、謝罪します。

  ですから、どうかジルを…。

 

V:君は私に意見しようというのかね?

 

レドモンドさんの片眉が、ぴくりと上がった。

 

主:…いえ、そのようなつもりは…。

  ………でも。

 

V:私の人形を私がどうしようと君には関係ないことだ。

  用件とはそんなことかね?

  だったら私は忙しいのだ。引き取ってもらおう。

 

主:…あの…でも。

  ジルをあのままには…。

 

V:…君もしつこいな。

  帰れと言ったのが聞こえなかったのかね!?

 

デスクの椅子から立ち上がったレドモンドさんは、大股に私に近づき。

 

主:きゃっ。

 

乱暴に私の肩をつかむと、ドアへ押しやろうとした。

 

でも、そのとき。

 

H:おっと、ミスター。

  僕のオーナーに触らないでください。

 

ルディは、私の肩をとったレドモンドさんの腕をつかんでいた。

 

V:…な、なんだね、君は…!

  人形の分際で、人間に盾突くつもりかね!?

 

H:いえ、決してそのようなつもりは。〔にっこり〕

  ただ、オーナーの護衛は精霊人形の仕事ですからね…。

 

ルディはそう答えながら微笑んでいたけれど。

その微笑に、私は一瞬、ぎくっとした。

まるで、人を怒らせ、困らせ、怯えさせることを面白がっているような微笑みだったから。

 

V:ぐっ…!

 

と、ふいにレドモンドさんは顔を強くしかめた。

ルディがレドモンドさんの腕をねじ上げたのだ。

 

主:ルディ…やめて…!

  レドモンドさんを放して!!

 

H:………………。

  ……かしこまりました、アストリッド様。

 

いつになく慇懃な受け答えをしてから、ルディはレドモンドさんの戒めを解いてくれた。

 

H:ただ、この紳士が貴女に無礼を働くようでしたら、僕は容赦なく彼を懲らしめますよ。

 

主:…ルディ。

 

V:………。〔咳払い〕

  なんだね、君の人形は…!

  人間に暴力をふるうなど、君の教育不行き届きではないのかね!?

 

主:…申し訳ありません…。

 

H:……………。〔ツンとすまし顔〕

 

………ルディ。

その…ルディは私を守ってくれようとしただけだろうけど…。

でも、とにかく暴力はいけないわ。

 

V:私の人形をとやかく言うより、まず自分の人形をどうにかすべきではないかね?

 

主:あの…彼には後でよく言って聞かせますから、どうかお許しください。

  でも、ジルのことは別です。どうかジルを…。

 

V:ジルは私の人形だ。私の所有物を私がどうしようと、君には一切関係のないことのはずだ。

  何度も同じことを言わせないでもらいたい。

  …………。〔ため息〕

  …いったい君は、どういう教育を受けているのかね?

  たしか17と言ったな。

  まだ年若いとはいえ、これまで礼儀作法というものを教わってこなかったのかね?

  まったく…親の顔を見てみたいものだな!

 

主:……………。

 

ジルをあのままにしてはおけない。

そのためには、彼のオーナーであるレドモンドさんの許しがどうしても必要で…。

……………だけど。

 

V:……………。〔冷たい眼差し〕

 

レドモンドさんに呆れ果てたような視線を浴びせられて、私はとてもいたたまれない気持ちだった。

 

H:ミスター。僕は彼女を、貴方が言うような不躾で恥知らずな人間だとは思いません。

  彼女は十分、貴方に礼を尽くしています。

  ただ、貴方が見たがっている“親の顔”とやらを、彼女は見せることはできませんけど。

 

V:…?

 

H:彼女に両親はいませんよ。

  なんでも3年ほど前に、2人とも亡くしたそうです。

 

V:……!〔少し驚いた顔〕

 

レドモンドさんは私を見つめた。

その目に一瞬、厭わしさとは別の感情が浮かんだように見えたのは、私の気のせいだろうか?

 

H:ねえ、アストリッド。もう帰ろうよ。

  この偏屈親父に何を言っても無駄だよ。

  ジルもさ、寒いだろうけど、人間みたいに風邪をひくわけじゃないし。

  彼もとっくに諦めてると思うよ。

  これも冷血なオーナーを持った人形の宿命だって。

 

主:…………。

 

ジルをあの雨の中に置いておきたくなかった。だけど。

これ以上、何と言ってレドモンドさんを説得したらいいのか、私にはわからなかった。

 

H:ミスターレドモンド。

  どーも、お騒がせしました。これ以上、申し上げることは何もございません。

  貴方の人形は、貴方のお好きなように、煮るなり焼くなりしていただいて結構です。

  では、失礼いたします。

  さあ、帰ろう。アズ。

 

ルディはそう言うと、私の手をつかんでドアへ向かった。

 

V:…本当なのかね?

 

ルディに手を引かれるまま、部屋を出ようとした私の耳にレドモンドさんの声が入った。

 

主:え…。

 

V:両親を亡くしたというのは、本当なのかと聞いている。

 

主:…あ…はい。

  3年ほど前、流行病で2人とも…。

  あの、レドモンドさん。

  レドモンドさんも、娘さんをご病気で亡くされたそうですね。

 

V:……!

  ジルか。

  …余計なことを…。

 

主:ジルは、娘さんを失ったレドモンドさんのことをとても心配していました。

  ……………。

  あの、レドモンドさん。

  私は、ジルとは出会ったばかりで…よく知りもしないと言われればそうですけど…。

  ジルは、オーナー思いの、心のやさしい人形だと思います…。

 

街でジルと再会した日。

ジルはレドモンドさんを慰めたいと言っていた。

それも、精霊人形の仕事の1つだと。

 

V:…………。

 

差し出がましいと思われただろうか?

だけど、ジルがレドモンドさんの心配をしていたのは本当だわ…。

 

V:…………………。

 

レドモンドさんは黙っていた。

黙って、何か考えていらっしゃるようだった。

 

V:……エイミス嬢。

 

主:はい。

 

V:…………いいだろう。

  ジルを許そう。

 

主:本当ですか!?

 

V:ああ。

  しかし、ジルを元に戻すのは私の仕事が一段落ついてからだ。

  君に付き合っていたせいで、こちらの予定が狂ってしまったのだからな。

  …それでかまわないな。

 

主:…はい。もちろんです。

 

本当は今すぐジルを元に戻して欲しかったけれど、あれほどかたくなだったレドモンドさんが考えを変えてくださったんだもの。

……それで十分だわ…。

 

〔暗転〕

私とルディはお屋敷を出た。

 

 

〔レドモンド邸・アプローチ〕

雨は相変わらず降っていた。

傘をさした私たちは来た道を戻った。

 

G:……………。

 

主:ジル。

 

さっきと同じ場所に立っているジルに、私は近づこうとした。

 

H:待って、アズ。

  行ったって無駄だよ。

 

ルディの声が私の足を止めた。

 

H:君が何を言ったところで、今のジルはオーナー以外の言葉は受け入れない。

  オーナー直々に許しが出なきゃ、彼は指一本動かさないよ。

 

主:…………。

 

H:可哀想なようだけど、僕らにはどうすることもできない。

 

主:……そうね…。

  レドモンドさんも約束してくださったし…。

 

G:……………。

 

H:行こう。

 

ルディは立ち止まっている私を促した。

 

………そうね…私にはどうすることもできない…。

……………。

……でも。

 

主:ルディ、これ持ってて。

 

私はさしていた傘をルディにわたすと

 

H:えっ…アズ?

 

ジルに駆け寄った。

 

G:……………。

 

ジルはさっきと同様、虚ろな眼差しのままだった。

 

私は、着ていたレインコートをジルの頭からかぶせた。

 

G:……………。

 

ジルはもうずぶ濡れだったけど。

これでも、何もないよりはいいはずだわ…。

 

主:ジル。もうすぐレドモンドさんのお許しが出るわ。

 

G:……オーナーが…許して…。

 

今日初めて、ジルが口をきいた。

 

でも、たどたどしい口ぶりに、私の胸は痛んだ。

ジルの秀麗な顔立ちと、その不器用な口ぶりには激しい落差があって。

そのことがいっそうジルを惨めに見せていた。

“半凍結”とでもいうべきこの状態は、精霊人形の、ごく普通の思考、会話さえ封じてしまうものなのだろう。

 

主:ええ、そうよ。

  だから、もう少しだけ我慢してね?

 

G:………。〔少しだけ微笑む〕

 

…ああ、今、ジルの心はオーナーで一杯なのだ。

こんな理不尽な罰を受けながらなお、彼はオーナーを思っている。

 

H:アズ。

 

ルディもジルの前にやって来ていた。

 

H:君が濡れちゃうよ。

  ほら、傘。

 

主:ありがとう、ルディ。

 

私はルディから傘を受け取った。

 

主:ジル、じゃあ、またね。

 

G:…………。

 

ジルは返事をしなかった。

 

主:帰りましょう、ルディ。

 

H:あ…うん。

 

まだ、少し心配だったけど。

もうすぐレドモンドさんがジルを迎えに来てくれるはずだから、大丈夫…。

私は自分にそう言い聞かせて、レドモンドさんのお屋敷を後にした。

 

 

〔街〕

私たちは家路についていた。

 

嫌な気分だった。

レドモンドさんの残酷な罰も。

ジルの、あの頼りなげな姿も。

…そして事の発端になった自分自身も。

 

主:…ジル、もう許してもらえたかな…?

 

H:……さあ。

  ヴィクターは「許す」って言ったけど、人間は嘘をつくからね。

 

……?

ルディ、なんだかちょっと冷たい…?

 

H:…精霊人形って。

  結局、オーナーの言いなりになるしかないんだよね。

 

主:え?

 

私は足を止めた。

 

H:精霊人形の魂はオーナーに握られてる。

  魂の意志は、人形の意志を、ひいては器を支配するから、結局、人形は人間に服従するしかないんだ。

  殴られようが蹴られようが、裏切られようが、汚されようがね。

 

そう言ったルディの目は醒めきっていた。

 

H:人間はそのことをよく知ってるからさ。

  僕たち人形にいろいろ好き放題やってくれるよね。

  君は、今のところ僕にやさしいけど…。

 

ルディはちらりと私を見た。

 

H:君だって…人間だもんね。

 

…………!

 

H:…………。

 

そう言うと、ルディは私に背を向け、歩き出した。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(3)

〔叔父邸・外観〕

ようやく家に着いた。

 

あれから、私たちはここまでずっと無言だった。

 

 

〔玄関口〕

〔少女・後ろ姿〕

…?

誰かいる。

あれ…。

あの後ろ姿…見覚えが…。

 

主:モニカ?

 

〔少女・正面〕

モニカ(以下M):あっ…アストリッド…。

 

一瞬、気まずい空気が流れる。

私は学院での、彼女の冷たい横顔を思い出していた。

 

あの噂が目立って囁かれるようになって以来、モニカは口さえきいてくれなくなっていた。

あの噂のせいで一変してしまった学生生活のことを、私は久しぶりに思い出した。

 

M:あの…アストリッド。

  ごめんなさいっ!

 

主:えっ…?

 

M:本当にこれまでごめんなさい。私、ずっと後悔してたの。

  あなたは何一つ悪くないのに…あなたと仲良くすることで他のクラスメイトから仲間はずれにされるのが恐くて、口もきけなかった。

  でも、今は反省しているの。

  辛いときこそ、助けるのがお友達でしょう?

  あんな噂に振り回されてた自分が恥かしい…。

 

主:モニカ…。

 

M:ねえ、アストリッド。私を許してくれる?

 

私は強く頷いた。

許さない理由なんてあるわけない。

 

主:もちろんよ。

  こうして会いに来てくれて…本当にうれしいわ。

 

M:ああ、アストリッド!ありがとう!!

 

モニカはそう言って、私に抱きついた。

 

あのときは、本当に辛かった。

でも、こうしてモニカは私のところに戻ってきてくれたんだもの。

過ぎてしまったことはもういいわ。

きっとこれからは、これまで以上の友達になれる…。

 

主:さあ、上がって。すぐにお茶の用意をするわ。

 

M:ええ、ありがとう。

  …ねえ、アストリッド。こちらは…?

 

言ってモニカはルディを見た。

 

主:えっ…あ、そうね…。

  えっと…。

 

まさかルディを“私の人形です”って紹介するわけにはいかないわ。

どっ…どうしよう…。

 

H:僕は彼女の叔父上の友人でね。

  ここしばらく、こちらのやっかいになってるんだ。

  君は、彼女の友人なのかな?

 

M:ええ。アストリッドのクラスメイトで、モニカ・ブラインと申します。

  初めまして。ええと…。

 

H:僕はホブルディ。ルディって呼んでくれればいいよ。

  よろしくね、モニカ。

 

M:こちらこそ、ルディさん。

 

H:僕はまだ、ここにやっかいになって日が浅くてね。

  アストリッドのこともよく知らないんだ。

  学校での彼女のこと、ぜひ君に教えてもらいたいな。

  あ、立ち話もなんだから、さあ、上がって。

 

M:ええ、失礼します。

 

H:………。〔ちょっと悪戯な笑顔で主人公に目配せ〕

 

モニカを招き入れたルディは、私に目配せをした。

 

……………。

どうやら、ルディのおかげでうまくごまかせたみたい…。

私は、ルディとモニカの後に続いた。

 

 

〔リビング〕

モニカはこの街にお婆さまがいるのだそうだ。

それで私と同じように、夏期休暇をこの街で過ごしていたのだった。

 

私たちは時間を忘れておしゃべりに興じた。

 

 

〔玄関〕

M:今日はとっても楽しかったわ。

  思い切ってここへ来て本当によかった…。

 

モニカ…。ありがとう。

 

M:今度は家にも遊びに来て。

 

主:ありがとう。近いうちにきっと行くわ。

 

M:ふふっ。楽しみにしてるわ。

  ………………。〔ふいに顔を曇らせる〕

 

…?

 

M:あのね、アストリッド。

  さっきのあの人ね…。

 

あの人?

ルディのこと?

 

M:何だか、おかしいわ…。

 

!?

 

M:ご、ごめんなさい。

  初対面の人にそんなこと言うの、失礼よね。

  でも、何だかあの人って…。とっても綺麗な人だけど…。

  どうしてかな、あんまり関わらないほうがいいような気がする…。

 

そう言ったモニカは、はっきりと顔を曇らせていた。

 

でも。

 

M:ご、ごめんなさい。ヘンなこと言って。〔ぎこちない笑顔〕

  じゃ、これで失礼するわ。

 

主:えっ。ええ。また、いつでも遊びに来てね。

 

M:じゃ、また。

 

〔モニカ退場・ドアの開閉音〕

 

ルディへの疑惑の言葉を打ち消すように、笑顔を見せてモニカは帰っていった。

 

……………。

 

ルディが人形だなんて、ばれてはいないと思う。

でもモニカは、ルディが人間ではないことを気配で感じ取っているというの…?

 

主:…まさか。ルディの正体を見破った人はこれまで1人もいないわ。

 

私は小さくつぶやいて、その考えを頭から追い出した。

 

 

〔夜・主人公の部屋〕

今日は1日、いろいろなことがあった。

 

ジル…レドモンドさん…ルディ…、そしてモニカ。

モニカと仲直りできたのはうれしかったけれど。

モニカの“彼には関わらないほうがいい”と言う言葉は、レドモンド邸での出来事ともあいまって、私の精霊人形に対する漠然とした不安を煽った。

 

……………。

 

…ううん。大丈夫よ。

レドモンドさんはジルを許すと約束してくださったし。

ルディは私を守ってくれたわ。

そのせいで、レドモンドさんを余計に怒らせちゃって、あのときはあわてたけど。

その一方で、うれしくもあった。

 

………………。

……でも。

 

帰り道、ルディが見せたあの冷たい瞳。

「人間は嘘をつく」「どんなに虐げられても、人形は人間に服従するしかない」

そして、ルディは私にこう言ったわ。

「君も人間だ」と。

 

ルディの醒めきった瞳と、人間への軽蔑が込められた言葉を胸に抱えたまま。

私は部屋の明かりを消した。

 

 

<翌日>

 

〔リビング〕

S:今日は…ルディの“あの日”か。

 

主:ええ。もう、ルディはお部屋で待ってるわ。

 

“あの日”…接蝕日のことだ。

 

主:叔父さま、今回は?

 

この間は接蝕に叔父さまも立ち会ってくれたのだ。

 

S:んっ?……今回は、というより、もう様子はわかったから遠慮するよ。

  んー…。何ていうかな、アレはなかなかプライベートな行為だな。

  他人が目にしてはならないものって感じが…。

 

???

 

叔父さまの言い方は少し気になったけど、とにかく、もう立ち会う気はないみたい。

 

主:じゃあ、行ってきます。

 

 

〔ルディの部屋〕

主:じゃあ、始めましょう。

 

H:…うん…そうだね。

 

この間と同じように、ルディは私の前で屈み、床に片膝をついた。

 

私はルディの額に左手のひらを置いた。

 

目を閉じて、ルディに意識を集中する。

 

まもなく、あの乾くような感覚が私の内側に這い登ってきた。

 

と、そのとき。

 

?:…………。

 

息の音が聞こえた。

 

ルディ…?

 

意識はルディに向けたまま、私は目を開けた。

 

H:…………。

 

ルディの体は、青白く発光していた。

その淡く冷たい光は、雨の夜、ランタンの中で燃えていたあの不思議な炎を私に思い出させた。

 

H:…………。

 

呼吸音はルディのものだった。

ルディは、深く肩で息をしていた。

 

人形は、しゃべるために呼吸をするけれど、生きていくためには呼吸をしない。

それなのに、今、こうして深く息をしているということは。

やはり精霊人形にとって、接蝕がとても特別な行為だということなのだろうか…?

 

ルディは眉を開き、私を見上げていた。

焦点がよく合っていない虚ろな目で。

“恍惚”…そんな言葉が頭に浮かんだ。

 

人間が食事によって空腹を満たすように、睡眠によって休息を得るように。

精霊人形は接蝕によって生命を充填しているのだ。

 

私を見上げるルディはまるで無防備で。

身も心も、すべてを私に委ねきっているかのようなその様子は、どこか幼ささえ漂い。

姿こそ同じでも、今の彼は普段の彼とはまるで別人のようだった。

 

私は、彼の秘密を覗き見ているような気持ちがした。

そして彼の渇きを癒せるのは私だけなのだという思いは、私の胸を甘く締めつけた。

 

………どれくらいそうしていただろう。

やがてあの感覚が去り、ルディを包んでいた淡い光も消えた。

 

主:ルディ…?

 

私は呼びかけた。

 

H:……………。

 

返事はなかった。

 

もう、眠ってしまったのね。

 

私はルディの額から左手を離した。

少し乱れた、彼の前髪を整える。

空を見つめるルディに私は言った。

 

主:おやすみなさい…ルディ。

 

 

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(4)

〔リビング〕

私とルディがレドモンドさんのお屋敷を訪ねてから、数日が経っていた。

 

レドモンドさんが約束を守ってくださったなら、ジルは元に戻っているはずだったけれど。

私が顔を出すことで、またレドモンドさんのご機嫌をそこねるのではないかと思うと、行って確かめることはできなかった。

 

〔呼び鈴〕

 

あ、お客様?

 

私は玄関に向かった。

 

 

〔玄関〕

G:こんにちは。お嬢さん。ご機嫌いかがかな?

 

主:ジル!元に戻ったのね!

  …よかった。

 

ジルは初めて会ったときと変わらない、美しい微笑を私に見せてくれた。

ああ、元に戻ったのね。よかった…本当によかった。

 

G:この間は見苦しい姿を見せてしまって、すまなかったね。

  君も驚いただろう?

 

主:…え、ええ。

 

雨の中、無表情で立っていたジルを思い出す。

長い薔薇色の髪、秀麗な顔立ち、琥珀の瞳…たしかに寸分違わずジルそのものであったけれど。

心身の自由を奪われた彼は、いかに美しくとも、そこには人形としての美しさしかなかった。

 

G:精霊人形は、オーナーの匙加減ひとつで、あんな風にもなる。

  君も精霊人形のオーナーである以上は、好むと好まざるに関わらず、知っておかなくてはならないだろうね。

 

主:……はい。

 

私は、ジルの言葉を重く受け止めた。

 

G:ああ…そうだ。

  そんなことより、私は君に礼を言わなくてはいけないね。

  まずはこれを。

 

そう言うと、ジルは私にレインコートを手渡した。

 

G:ありがとう、アストリッド。

  君のおかげで寒さをしのげたよ。

  人形はあんな状態でも感覚は働いている。

  だから、雨の冷たさを感じるように、君の姿も見えていたし、君の声も聞こえていた。

  君が私にしてくれたことすべてを私は知っている。

  本当にありがとう。

 

ジルはそう言って、私の手を握った。

 

主:……!

 

ジルの顔が私に迫る。

 

ジルの表情は、やさしく、穏やかだった。

でも、その奥に秘められた艶めかしさに、私の心臓は敏感に反応し、頬を火照らせた。

 

…………精霊人形って、どうしてこんなに綺麗なんだろう…。

 

G:初めて君を見たとき、なんて可愛らしいお嬢さんだろうと思ったが…君は可愛らしいだけではなくて、心のやさしいお嬢さんなのだね。

  ヴィクターは詳しいことを話してくれなかったが、君が彼を説得してくれたのだろう?

 

主:えっ…ええ……そうね…。

  でも、どうしてレドモンドさんがジルを許す気になってくださったかは、よくわからないわ。

  だって、私が何を言っても聞く耳を持ってくださらなくて…。

 

H:“同病相哀れむ”ってヤツじゃない?

 

突然割り込んできた声に振り向くと、そこにはルディがいた。

 

H:ヴィクターは娘を亡くしたって聞いてたから、もしかしてって思ったんだけど。

  “彼女も貴方と同じように愛する家族を失った可哀想な女の子です”ってアピールしたら、あんな偏屈親父にもけっこう効果あったね。

  …ところでさ、ジル。

  僕のオーナーに気安く触らないでくれる?

 

G:…?

 

H:彼女はまだ、世間知らずのうぶな女の子だからね。

  そういうことをされると、誤解しかねないだろ?

 

G:誤解?

 

H:君のそういう行為は、大抵の女性に特別な感情を起こさせるってこと。

  ………わかってるくせに、しらじらしく聞き返さないでよね。

  僕たち精霊人形は、人間の機嫌を取るのも仕事の内だと思うけど、そういう思わせぶりな行動で女性の心を弄ぶのは慎むべきじゃないかな。

 

ルディはジルに対して少し意地悪だった。

その態度に彼の不機嫌を察したのか、ジルは私の手を離してくれた。

 

G:……ホブルディ。

  たしかに、私の言動ひとつで女性を喜ばせられるのならば…と思うところもないわけではないが、それにしたところで君が言うような考えで彼女たちに接しているわけではないよ。

 

H:…ふーん。そーなんだ。へえええ。〔わざとらしい相槌〕

 

G:ましてや、アストリッドは雨の中凍えていた私に救いの手を差し伸べてくれた恩人なのだ。彼女には心から感謝している。

  その気持ちを、彼女の手に触れることで表したつもりなのだが…それは非難されるような常識を欠いた行為だったかな?

 

H:………………。

  …ホント、上手いこと言うよね、ジルは。

  君のエレガンスにあふれた処世術には心から感服するよ。

 

私は、ルディの刺々しい態度に内心はらはらしていた。

まさか、喧嘩になったりはしないだろうけど…。

 

G:……………。〔ため息〕

 

ジルもこれ以上ルディに取り付く島はないと思ったらしく、小さくため息をついた。

 

G:…ホブルディ、では、私は彼女と出会えたことを別の意味で感謝しているとでも言えば君は納得してくれるのかな?

 

H:?

 

「別の意味?」

 

G:これ以上言わなくても、君にはその理由がわかるはずだ。

  私と同じ、人間の僕である精霊人形の君ならね。〔暗い眼差し〕

 

H:……!

 

ジルが私に感謝する理由…?

しかも、ルディにはジルが説明しなくてもわかるって…。

……どういうこと…?

 

G:………ふっ。〔微笑む〕

  お嬢さん、どうやら君の人形は、自分のオーナーが他の人形と親しくするのが気に入らないようだ。

  これ以上彼の機嫌を損ねないうちに失礼するとしよう。

  では、また。心やさしいお嬢さん。

 

〔ジル退場・ドアの開閉音〕

 

別れの言葉を告げると、ジルはドアの向こうへと姿を消した。

薔薇のような微笑みと、ひとひらの疑問を私の胸に残して。

 

 

第4章