第3章:精霊人形という身上

(1)

〔街〕
私は1人、街を散策していた。


お店やオフィスが立ち並ぶこの通りを行き交う人は多く、街は賑わっていたけれど、散策にふさわしいのどかな空気もどこかしら漂っていた。


叔父さまのお屋敷に来たのが4年ぶりなら、この街を歩くのも4年ぶり、ということになる。


おぼろげな記憶と目に映る景色を照らし合わせながら、私は足の向くままに歩き続けた。


休眠を終えたジャックは、まるで何事もなかったようにいつものジャックに戻っていた。
無表情で寡黙。そしてマイペースぶりも相変わらずだった。


接蝕は、私にはとても不思議で奇妙な体験だったけれど、精霊人形のジャックにとってはごく当たり前の行為だからだろう。
目を覚ましたジャックが、あの行為について何か口にすることはなかった。


私は元に戻ったジャックにほっとしながらも、あの従順なジャックにも、なんだか、少し、心が動かされた。


……なんて、思っちゃダメかな?
だってあの日は、本人の意志がうまく働かない特別な日なんだから、そんな風に思うのはいけないのかも…。


そんなことを考えながら歩いていると、シロップの入った瓶と果物を並べた露店が目にとまった。


……ちょっと、喉が渇いたな…。


私はそこで、レモネードを買った。


店先に並べられた椅子にかけ、私はレモネードを飲みながら通りを眺めていた。


足早な人、立ち止まっておしゃべりしている人、重そうな荷物を抱えた人。
子供たちは笑い声を立てながら駆け回り、馬車が走り抜けて行った。


主:!


私は人波の中に、際立って美しい横顔を見つけた。


W:…………。


それはウィルだった。


W:…………。


でも、ウィルは私に気づくことなく、あっと言う間に人ごみにまぎれてしまった。


ウィルとは、あのお茶会以後会っていない。


……挨拶、すればよかったかな?
でも、私が声をかけたところで、迷惑がられるだけのような気がする…。
私は初めて会った日の、彼のちょっと意地悪な態度を思い出していた。

 

〔中央公園〕
私は中央公園にいた。
レモネードで一休みした後、私は街で一番大きな、この公園に足を運んでいた。


人出は、わりあい少なかった。
晴天の下、人々はまばらに点在し、皆、思い思いにくつろいでいる。


大きな池のほとりにベンチを見つけた私は、そこに腰をかけて池を眺めた。


風もないのだろう。広々としたモスグリーンの水面に、一筋の乱れもない。
どこまでも平らな水面は、岸辺に立ち並ぶ木々と雲の影を鮮明に写し、静止していた。


まるで、一枚の鏡のよう…。


そうぼんやり考えていると。


〔水音〕
突然、水しぶきが上がった。


主:!


水しぶきは、小さく、鋭く、断続的に、弧を描くように上がり、鏡像を切り裂いていった。


私は、池のほとりに目をやった。


〔後姿の少年:淡い金色の髪。白いシャツにベージュのベストとズボン。〕
少年:………。


そこに1人の少年が立っていた。
少年は、足元の石を拾うとそれを池の水面に向かって投げた。
石は、水面をジャンプした。


“水切り”だ。


最初ゆったりだった石のジャンプはたちまち加速し、10回以上も水面を蹴り。
そして沈んだ。
私は、こんなに長く連続する水切りを見るのは初めてだった。


少年は石が水中に消えたのを見て取ると、再び石を拾い、投げた。
少年の腕前はかなりのものなのだろう。石は再び水面を10回以上ジャンプした。


少年:…………。


少年は水切りを何度も繰り返した。
どうやら彼は、石を向こう岸まで届かせようとしているようだった。


少年:…………。


何度失敗しても、少年はひたすら石を投げ続けた。
その姿は、ひたむきで、真剣そのものだった。


私は、いつしか後ろ姿の少年を心の中で応援していた。


…がんばって!
……もう少し!
……ああ、惜しい…。
…もう1度…!


何度、少年は石を投げただろう。
でも、とうとう。


石は水面を渡り切り、向こう岸の草むらを揺すった。


主:届いたわ!


少年:!


思わず上げてしまった感嘆の声に、少年は振り返った。


〔少年・正面〕
少年:………。〔少し不思議そうな顔〕


青白い頬をした、利発そうな少年だった。
瞳の色は深緑。年は、13、4歳…といったところだろうか。
少年は、不思議そうな顔で私を見ている。


…そうね、見ず知らずの人に声かけられちゃって、びっくりするわよね…。


私は、少しばつが悪かった。


少年:…お姉さん、ずっと見てたの?


主:えっ…ええ。
  あの…水切り上手なのね。


少年:ありがとう。〔笑顔〕
   岸まで届かないことの方が多いんだけど、今日は調子が良かったみたい。


少年の屈託のない笑顔に、私はほっとした。


主:ねえ、いつもここでこんなことをしているの?


少年:うん…そうだね。前はよく来てたんだけど、ここに来るのは半年ぶりくらいかな。
   ここのところ、ちょっと体調がすぐれなくて…。


?:おい、さがしたぞ。


私は声の方に振り返った。


〔ウィル登場〕


ウィル!?


W:さあ、帰るんだ。


少年:えー?
   まだ、帰りたくないよ、ウィル。


ウィル…どうして?
この子と知り合いなの?


そう思っていると


W:……!?
  ……おまえは…。


ウィルも私に気づいた。


少年:…?
   ウィル、この人と知り合いなの?


W:……精霊人形の新しいオーナーだ。


少年:ええっ!この人が?
   なんだか、すごい偶然だね。
   ………………。


少年はそう言うと私をじっと見た。


少年:じゃあ、同じ精霊人形のオーナーとして、自己紹介しなきゃいけないね。


えっ?
「精霊人形のオーナーとして」…って、まさか。


少年:僕の名前はエリオット・ワイルダー。
   僕はウィルのオーナーなんだ。どうぞよろしく。


主:ええ!?
  あなたがウィルのオーナー!?


今度は私が驚く番だった。


エリオット(以下E):この間のお茶会、僕もすごく行きたかったんだけど、熱が出ちゃって行かれなかったんだ。
  でも、こんなところで会えるなんて…本当にびっくりだなあ。
  ウィルは新しいオーナーのことを、“地味でとろそうで子供っぽい、女のオーナーだ”って言ってたけど…。


ウィル…私のことをこんなふうに、自分のオーナーに説明してたのね…。


E:ふふっ…まあいいや。
  ウィルは人を褒めるの、苦手だもんね。


W:………。〔ばつの悪そうな顔〕
  俺は、俺の感想を言ったまでだ。


E:ねえ、それよりアストリッド。


彼はすでに私の名前を知っていた。


E:今日はジャックと一緒じゃないの?


主:ええ。


E:ああ、残念だなあ…。
  僕、まだジャックには会ったことないんだ。絶対に会いたいよ。
  ねえ、ジャックってどんな精霊人形なの?


主:えっと…そうね…。


W:リオ。


リオ?…ああ、エリオットのことね。


W:おしゃべりはここまでだ。もう帰るぞ。
  いつまでも風にあたっていると、体に障る。


ウィルは不機嫌そうだった。


「体に障る」。
そう言えば、エリオットがお茶会に来られなかった理由は、体調不良だった。
ウィルは、エリオットの体を心配しているのだろう。


主:ねえ、今度エリオットのお家に行ってもいい?
  ジャックも連れて行くから。


本来なら、こちらから訪問したいと言うのは失礼にあたるだろう。
でも、エリオットの外出を、ウィルはあまりよく思っていないように感じた私は、失礼を承知でそう提案した。


E:本当!?約束だよ!


私の言葉に、エリオットは目を輝かせた。


W:……話はついたな。
  行くぞ。


E:…うん。あ、ちょっと待って。
  ねえ、ウィル、久しぶりに勝負しようよ。


W:勝負…?


そう言って、ウィルは池に目をやった。
勝負って。
たぶん、水切りのことだ。


W:…いいだろう。
  ただし、1度だけだ。


E:うん。遠くへ投げた方が勝ちだよ。


そう言うとエリオットは石を拾った。
ウィルも石を拾い、エリオットの左側に並んだ。


E:じゃあ、いつもみたいに。


W:ああ。


E:行くよ…!


エリオットの合図で、2人は同時に石を投げた。


2人の手から飛び出した小石は、飛沫を上げて水面を走り出した。


先行したのはエリオットの石。
エリオットの石が、ウィルの石に先行して水面を蹴っていく。
でも。


E:あっ!


エリオットの投げた石の軌跡が大きく曲がり、後からやってきたウィルの石にぶつかった…ように見えた。
一瞬の出来事で、本当にぶつかったかはっきりわからなかったけれど、とにかく2つの石は重なり合うようにしてほぼ同時に水中へと消えた。


E:……………。
  珍しいね、こんなこと。


W:ああ。


E:これじゃ、勝負は引き分けだね。


W:ま、そうだな。
  さあ、帰るぞ。


そう言うとウィルは、ポンとエリオットの頭を叩いた。


E:うん。じゃあね、アストリッド。
  約束、忘れないでよ。


私は、並んで歩く2人の後ろ姿を見送った。

 

〔街中〕
公園で2人と別れた私は、1人家路についていた。


ウィルのオーナーが、あんな少年だったなんて意外だった。
再会したウィルは相変わらず不機嫌そうで、自分のオーナーに対してもそっけなかったけど。
でも、エリオットに接するウィルは、どこかあたたかかった。


そんなことを考えながら歩いていると。


?:どこへ行っていた。


突然かけられた声に私は振り返った。


〔ジャック登場〕


主:ジャック。
  中央公園までお散歩してきたの。ジャックはどこに行ってたの?


J:…その辺だ。


ジャックは何も言わず出かけることが多かった。
そしてどこに行っていたかたずねても、くわしく教えてくれない。
何か秘密があるのか…それとも、話すのが面倒なのかな。


……………。
…たぶん、面倒がってるだけのような気がする…。


主:ジャックも帰るところなんでしょ?
  一緒に帰りましょう。


J:………ああ。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(2)

〔黒背景〕
帰る道すがら、さっそく私は、ウィルとそのオーナー、エリオットに会ったことをジャックに話した。
でも、その話に彼が関心を示すことはなく、ごく短い相づちが返されるだけだった。

 

〔リード邸・外観〕
しばらくして、私たちはお屋敷に着いた。

 

〔玄関(外)〕
〔少女・後ろ姿〕
…?
誰かいる。
あれ…。
あの後ろ姿…見覚えが…。


主:モニカ?


〔少女・正面〕
モニカ(以下M):あっ…アストリッド…。


一瞬、気まずい空気が流れる。
学院での彼女の冷たい横顔が、私の胸に甦っていた。


あの噂が目立って囁かれるようになって以来、モニカは口さえきいてくれなくなっていた。
あの噂のせいで一変してしまった学生生活のことを、私は久しぶりに思い出した。


M:あの…アストリッド。
  ごめんなさいっ!


主:えっ…?


M:本当にこれまでごめんなさい。私、ずっと後悔してたの。
  あなたは何一つ悪くないのに…あなたと仲良くすることで他のクラスメイトから仲間はずれにされるのが恐くて、口もきけなかった。
  でも、今は反省しているの。
  辛いときこそ、助けるのがお友達でしょう?
  あんな噂に振り回されてた自分が恥かしい…。


主:モニカ…。


M:ねえ、アストリッド。私を許してくれる?


私は強く頷いた。
許さない理由なんてあるわけない。


主:もちろんよ。
  こうして会いに来てくれて…本当にうれしいわ。


M:ああ、アストリッド!ありがとう!!


モニカはそう言って、私に抱きついた。


あのときは、本当に辛かった。
でも、こうしてモニカは私のところに戻ってきてくれたんだもの。
過ぎてしまったことはもういいわ。
きっとこれからは、これまで以上の友達になれる…。


主:さあ、上がって。すぐにお茶の用意をするわ。


M:ええ、ありがとう。
  …ねえ、アストリッド。こちらは…?


言ってモニカはジャックを見た。


J:………?


主:えっ?あ…えーと。…叔父さまのお友達よ。
  今、このお屋敷に滞在しているの。
  ねっ。そうよね、ジャック。


J:…?


ジャック、お願い、話を合わせて…。
私はジャックに目配せした。


J:…………。
  ……ふっ。〔承知したというように少し笑う〕
  そうだな。おまえがそうだと言うのなら、そうなのだろう。


M:?


ジャックの受け答えに、モニカは少し怪訝な顔をした。


どうやら、ジャックも秘密を守るつもりでいるみたいだけど。
だったら、そういう思わせぶりな言い方はしないでほしい…。


主:えっと。ジャック、こちらは私のクラスメイト、モニカ。


M:初めまして。モニカ・ブラインと申します。
  今日はお目にかかれて光栄です。


そう言ってモニカはにっこりと微笑んだ。


M:……………。〔にっこり笑顔のまま〕


微笑んで、じっとジャックの顔を見つめている。


M:……………。〔にっこり笑顔のまま〕


J:……………。〔無表情でモニカを見つめ返している〕


私は、内心落ち着かなかった。
まさかジャックが人形だってばれることはない…と、思うけど…。


主:さあ、モニカ、上がって。ねっ。
  いろいろお話聞きたいわ。


こらえられず、私が切り出した。


M:え、ええ。おじゃまします…。

 

〔リビング〕
モニカはこの街にお婆さまがいるのだそうだ。
それで私と同じように、夏期休暇をこの街で過ごしていたのだった。


私たちは時間を忘れておしゃべりに興じた。

 

〔玄関(内)〕
M:今日はとっても楽しかったわ。
  思い切ってここへ来て本当によかった…。


モニカ…。ありがとう。


M:今度は家にも遊びに来て。


主:ありがとう。近いうちにきっと行くわ。


M:ふふっ。楽しみにしてるわ。
  ………………。〔ふいに顔を曇らせる〕


…?


M:あのね、アストリッド。
  さっきのあの人ね…。


あの人?
ジャックのこと?


M:なんだか、おかしいわ…。


!?


M:ご、ごめんなさい。
  初対面の人にそんなこと言うの、失礼よね。
  でも、なんだかあの人って…。とっても綺麗な人だけど…。
  どうしてかな、あんまり関わらない方がいいような気がする…。


そう言ったモニカは、はっきりと顔を曇らせていた。


でも。


M:ご、ごめんなさい。ヘンなこと言って。〔ぎこちない笑顔〕
  じゃ、これで失礼するわ。


主:えっ。ええ。また、いつでも遊びに来てね。


M:じゃ、また。


〔モニカ退場・ドアの開閉音〕


ジャックへの疑惑の言葉を打ち消すように、笑顔を見せてモニカは帰っていった。


……………。


ジャックが人形だなんて、ばれてはいないと思う。
でもモニカは、ジャックが人間ではないことを気配で感じ取っているというの…?


主:…まさか。ジャックの正体を見破った人はこれまで1人もいないわ。


私は小さくつぶやいて、その考えを頭から追い出した。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(3)

〔アストリッドの部屋〕
ウィルと、そのオーナー、エリオットと出会ったのは昨日のことだ。
そして、モニカと仲直りしたのも。


モニカが帰ったあと。
私は、ウィルとエリオットのことを叔父さまに話した。
ジャックと違って叔父さまは、2人の話をとても興味を持って聞いてくれた。


〔呼び鈴〕


あ、お客様だわ。

 

〔玄関〕
E:こんにちは。


主:エリオット!
  いらっしゃい。


E:昨日会ったばかりなのに、突然来ちゃってごめんなさい。
  でも、僕、どうしても早くジャックに会いたくて…。


S:何?アズのお客さん?


E:………!


主:えっと、こちらは私の叔父よ。
  叔父さま、彼が昨日話した…。


S:ああ、君がウィルの…。
  僕はサイラス・リード。アストリッドの叔父で、今は彼女の後見人でもあるんだ。
  何分、アストリッドは新米オーナーなんでね。
  君には先輩オーナーとして彼女にいろいろ教えてやって欲しいな。


E:ふふっ。
  こちらこそよろしくお願いします、ミスターリード。


J:……子供の客とは珍しいな。


主:ジャック。


E:彼が…そうなんだね。
  初めまして、ジャック。僕は…。


J:ウィルのオーナーか。
  話は聞いている。自己紹介は必要ない。


〔ジャック退場〕


そう言うと、ジャックは行ってしまった。


主:ジャック!
  もう…せっかくエリオットが来てくれたのに。
  ごめんなさいね、ジャックはあんまりオーナーに興味がないみたいで…。


E:ふふっ。気にしないで、アストリッド。
  精霊人形って、本当にみんな個性的で面白いよね。

 

〔リビング〕
立ち去ったジャックを呼び戻し、私たちは4人で歓談した。


その中で、エリオットはウィルとの出会いについて話してくれた。


もともと、ウィルはエリオットのお父様の人形だったそうだ。
でも、そのお父様は幼いころに他界し、エリオットがウィルのオーナーを引き継ぐことになり。
だからエリオットは、生まれた時から今までずっとウィルと共に暮らしてきた…ということだった。


きっと、エリオットにとってウィルは、自分の人形というだけでなく、父のようでもあり、兄のようでもあり、友達のような存在だっただろう。
そして、それはウィルにとっても同じだったのではないだろうか。
私は、エリオットに向けられていた、ウィルのあたたかい眼差しを思い出していた。

 

〔庭〕
E:今日はいろいろありがとう。
  新しい精霊人形に会えて、本当にうれしかった。


私はエリオットを見送りに、庭先に出ていた。


主:また、遊びに来てね。
  よかったら、今度はウィルも一緒に。


E:…そうだね。
  ……………。〔少し沈んだ表情〕


…?
エリオットは、ふいに黙り込んだ。


E:……ねえ、アズ。
  ジャックを…精霊人形をあんまり好きになっちゃダメだよ。


主:え?


E:だって、人間と人形は、本物の友達にはなれないから。


…………?


私は、エリオットの言っていることがよくわからなかった。
公園で水切りをする2人は、あんなに仲がよさそうだったのに。
エリオットにとってウィルは、友達どころか、友達以上の存在ではないの…?


E:みんな、オーナーは精霊人形の主人だと思ってるみたいだけど、僕は違うと思う。
  むしろ逆だよ。人形は自分が生きるために人間を利用しているに過ぎないんだ。


精霊人形は、人間を利用している…?


E:人間が家畜を大切に世話するのは、その肉や毛を取ったり、働かせるためだよね。
  精霊人形にとってオーナーは“生きる糧”だよ。
  だから、ウィルは…人形は僕にやさしくしてくれるし、守ってくれる。
  自分が生きていくために。


エリオット…。


E:………………。


エリオットは、ウィルと水切りをしている時も、2人並んで家路につく時も、こんな気持ちを抱いていたのだろうか?


E:それにね、僕は所詮ウィルにとって、父さんの身代わりに過ぎないんだ。


身代わり?


?:リオ、さがしたぞ。


聞き覚えのある声に、私は顔を上げた。


W:こんなところで何をしている。


E:………。


W:さあ、帰るぞ。
  最近、無断外出が多すぎる。…まったく。


E:…………。
  ウィルは僕を子供扱いしすぎだよ。
  僕は、外出するのにいちいちウィルの許可を得なきゃいけないような子供じゃない。
  ウィルは僕のこと、何でも知ってるみたいな顔してるけど、本当は僕のことを1番わかってないんじゃないの?


W:……!


………ど、どうしよう…。
なんだか、すごく険悪な雰囲気…。


主:エリオット、ウィルはあなたを気づかってるだけよ。ね?
  それに、ウィル。エリオットはとてもしっかりしてるわ。
  だからそんなに心配しなくても…。


E:……………。


W:……………。


…2人とも、ちょっと怖い…。


E:……。〔ため息〕
  ………帰るよ、ウィル。


W:チッ。くだらない口答えしてねえで、さっさとそうしろ。


E:帰るのは、僕の用事が済んだからだからね。
  別にウィルの命令に従うわけじゃないよ。


……大丈夫かな、こんな調子で。


E:じゃあ、アズ。僕はこれで。〔ウィルに当てつけるような笑顔〕


主:えっ…ええ。
  また、遊びに来てね。待ってるわ。


E:…………。〔笑顔から一転、神妙な顔〕


主:…?


E:…さようなら、アストリッド。


主:え…?
  さ、さようなら。


私は、「さようなら」と言ったエリオットに違和感を覚えた。
彼の声に、14歳の少年に似つかわしくない、“衰え”のようなものを感じたからだ。


私は、なんだかこの場を離れがたい気持ちがして。
2人の後ろ姿が完全に見えなくなっても、しばらくその場にたたずんでいた。

 

<翌日>


〔リビング〕
S:今日は…ジャックの“あの日”か。


主:ええ。もう、ジャックはお部屋で待ってるわ。


“あの日”…接蝕日のことだ。


主:叔父さま、今回は?


この間は、接蝕に叔父さまも立ち会ってくれたのだ。


S:んっ?……今回は、というより、もう様子はわかったから遠慮するよ。
  んー…。なんていうかな、アレはなかなかプライベートな行為だな。
  他人が目にしてはならないものって感じが…。


???


叔父さまの言い方は少し気になったけど、とにかく、もう立ち会う気はないみたい。


主:じゃあ、行ってきます。

 

〔ジャックの部屋〕
主:じゃあ、始めましょう。


J:…ああ。


この間と同じように、ジャックは私の前で屈み、床に片膝をついた。


私はジャックの額に左手のひらを置いた。


目を閉じて、ジャックに意識を集中する。


まもなく、あの乾くような感覚が私の内側に這い登ってきた。


と、そのとき。


?:…………。


息の音が聞こえた。


ジャック…?


意識はジャックに向けたまま、私は目を開けた。


J:…………。


ジャックの体は、青白く発光していた。
その淡く冷たい光は、雨の夜、ランタンの中で燃えていたあの不思議な炎を私に思い出させた。


J:…………。


呼吸音はジャックのものだった。
ジャックは、深く肩で息をしていた。


人形はしゃべるために呼吸をするけれど、生きていくためには呼吸をしない。
それなのに、今、こうして深く息をしているということは。
やはり精霊人形にとって、接蝕がとても特別な行為だということなのだろうか…?


ジャックは眉を開き、私を見上げていた。
焦点がよく合っていない虚ろな目で。
“恍惚”…そんな言葉が頭に浮かんだ。


人間が食事によって空腹を満たすように、睡眠によって休息を得るように。
精霊人形は接蝕によって生命を充填しているのだ。


私を見上げるジャックはまるで無防備で。
身も心も、すべてを私に委ねきっているかのようなその様子は、どこか幼ささえ漂い。
姿こそ同じでも、今の彼は普段の彼とはまるで別人のようだった。


私は、彼の秘密を覗き見ているような気持ちがした。
そして彼の渇きを癒せるのは私だけなのだという思いは、私の胸を甘く締めつけた。


………どれくらいそうしていただろう。
やがてあの感覚が去り、ジャックを包んでいた淡い光も消えた。


主:ジャック…?


私は呼びかけた。


J:……………。


返事はなかった。


もう、眠ってしまったのね。


私はジャックの額から左手を離した。
少し乱れた、彼の前髪を整える。
空を見つめるジャックに私は言った。


主:おやすみなさい…ジャック。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(4)

 

〔リビング〕
私は1人、リビングで一昨日のことを思い出していた。


〔回想〕
E:精霊人形にとってオーナーは“生きる糧”だよ。


E:僕は所詮ウィルにとって、父さんの身代わりに過ぎないんだ。


そして。


E:…さようなら、アストリッド。


“さようなら”と言ったエリオットは、何か思いつめているみたいだった…。


〔回想明け・呼び鈴〕
あ、お客さん。


私は玄関に向かった。

 

〔玄関〕
W:…………。


訪問者は、ウィルだった。


主:いらっしゃい、ウィル。どうぞ上がって。


W:今日はオーナーの使いだ。
  ほらよ。


そう言うと、ウィルは私にバスケットを押しつけた。


主:これは?


W:一昨日、突然訪問した詫びの品だそうだ。
  …お口汚しではありますが、エイミス嬢、どうぞ我がオーナーの心遣い、お納め下さいますよう。〔慇懃に〕


主:…それは、ご丁寧にありがとうございます…。


ウィルの敬語なんて、わざとだとわかっていても調子が狂う…。


主:ねえ、ウィル。エリオットは?


W:…昨日から熱出して寝てやがる。


主:えっ。大丈夫なの?


W:まあ、いつものことだ。
  あいつは、もっとガキの頃から体が弱くてな。
  だからくれぐれも無理をするなと言っているのに…。まったく。


ウィルは腹立たしげにそう言った。


…ウィル。
ウィルは本当にエリオットが心配なのね…。


W:さてと。これで俺の仕事は終わりだ。
  じゃあな。


そう言って、素っ気なく帰ろうとしたウィルを


主:あっ、待って。


私は、つい、引き止めてしまった。


W:?


……エリオットのこと、気になるけど。
でも、どう聞いたらいいのかな…。


別れ際に残したエリオットの言葉。


「精霊人形にとってオーナーは生きる糧だよ」
「僕は所詮ウィルにとって、父さんの身代わりに過ぎないんだ」


寂しいその言葉の意味を、そのままウィルに問うわけにはいかなった。


W:…用がないなら帰るぞ。


主:あっ、えっと。
  あのっ…。
  エリオットのお父様って、どんな人だったの?


W:…!


エリオット自身のことはちょっと聞きづらいけど、お父様のことなら。
そう思って聞いたけど。
ウィルは、私の言葉に一瞬表情を硬くした。


W:……一昨日の話か。


主:えっ…ええ。


ウィルはエリオットから、ここでした話を聞いたのだろうか?
それとも、別れ際にエリオットが口にしたことを自分の耳で聞いていたのだろうか?


W:…………………。


それだけ言って、ウィルは口をつぐんだ。


……………。
沈黙が続く。


W:………………。


主:あの、ウィル。
  ごめんなさい、引き止めちゃって。
  今日は本当にありがとう。
  エリオットにもよろしく伝えてね。それから、お大事にって。


私は、ウィルを帰そうとした。
彼の沈黙に、聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がしたから。


W:…………いや。
  ……………。


ウィル?


W:……俺は、もともとはリオの父親の人形だった。
  つまり俺は、ワイルダー家に2代続けて仕えた人形ということになる。


ふいにウィルは話し始めた。


W:リオの父親は明るい奴だった。
  俺とはずいぶん性格は違っていたが、なぜか気が合ってな。
  人形とオーナーという関係を越えて、さながら人間が言うところの親友同士のような関係だった。
  やがてあいつは結婚した。
  あいつには妻ができ、仕事が変わり、住む場所も変わったが…。
  その間も、俺とあいつの関係は変わることがなかった。
  まあ、あいつの生活がどう変わろうと、俺の方は何も変わらなかったからな。
  そして間もなくリオが生まれ、新しく始めた事業も好調で、あいつは世間から成功者と呼ばれるようになった。
  だが、リオが2歳になる頃だ。


ここでウィルは言いよどんだ。


W:あいつの妻が殺された。


主:えっ?


W:しかも犯人は捕まらなかった。
  つまり、誰が、どんな理由で、彼女の命を奪ったのか、まったくわからないまま、あいつは最愛の妻を突然失った。


主:……………。


W:その日を境に、あいつは人が変わっちまった。
  あいつは激しく苦しんでいた。
  極度の悲しみと絶望は、あいつから明るさと笑顔を奪い…代わりに、暗い眼差しと、憎しみと怨みの炎をあいつの胸に植え付けた。
  俺はあいつを、その苦しみから救ってやりたい…そう思った。
  あいつが願うなら、あいつに代わって犯人を殺してもかまわないとも思った。
  ……だが、俺にはどうすることもできなかった。


ウィル……。


W:そうして、事件から1年が過ぎる頃だ。
  あいつは俺にこう言った。
  どれほど自分が犯人を呪おうと、妻は帰ってこない。
  だったら、もうこれ以上、憎悪に囚われて生きていくのは無意味ではないか。
  それよりも、これからは未来に希望を持って生きていこうと思う。リオのためにも。…とな。
  そして、俺にもずいぶん心配をかけたがもう大丈夫だ…そう言って、あいつは笑顔を見せた。
  その日以来、言葉通りにあいつは明るさを取り戻し、仕事に励み、リオに愛情をそそいだ。
  それ以後、俺はあいつの沈んだ顔を見ることはなかった。


そうね…どんなに辛くても、明日は来るわ。
悲しみを乗り越えなきゃいけない…。
ましてや、エリオットも、ウィルもいたんだもの。
ただ嘆いてばかりではいられなかったはずだわ…。


W:そして1年、2年と過ぎて…あの出来事は、忘れ去られたわけじゃないが、それでも過去となっていった…と俺は思っていた。
  だが、あいつの中では何ひとつ終わっちゃいなかったんだ。


主:………?


W:事件から5年後だ。あいつはとうとう犯人を自力で見つけ出して、復讐を果たす。


主:復讐…?


W:あいつは犯人を射殺した。そして。
  …自分自身も。


主:自分自身って…まさか。


W:そう、自殺だ。
  あいつは、人の命を奪うなら、自分の命も捨てなくてはならないと考えたんだろう。たとえそれが、罰を受けて当然の人間であったとしてもだ。
  まったく…バカげた理屈だぜ。


ウィルは表情をほとんど変えなかったけれど、声には怒りが滲んでいた。


W:あいつは、自分の命よりも復讐を選んだ。
  まだ幼い息子は、人形の俺に託してな。


主:……………!


W:事件から5年…あいつは俺には過去と決別したと見せながら、その心は憎しみと悲しみに囚われたままだった。
  5年の間、1日たりともあいつの心から苦しみが消えた日はなかったということを、俺はそのとき初めて知った。


ウィル…。


W:ふっ…。〔自嘲的に〕


ウィルは冷たく笑った。


W:…あいつの言葉を疑いもせず、信じ切っていた俺がバカだった。
  人間に心を開いても無駄だとわかっていたはずなのに…俺はうっかりあいつを信じちまった。
  まったく、あの頃の俺はどうかしていたぜ。


自嘲的なウィルに、私は何も言えなかった。


W:人形と人間。
  たとえどんなに長く、苦楽を共にしようとも、その心が通じ合うことはない。
  いくら出来がよかろうと、人間にとって人形は“人間の代用品”だからな。


「人間の代用品」
ウィルは自分をそう呼んだ。
まるでいくらでも買い替えがきく玩具のように。


W:……だが。
  所詮は紛い物と蔑まれても、人形は人間から離れられない。
  つくづく因果な体だぜ。人形という器は。


主:……………。


J:ウィル、俺のオーナーに何の用だ。


奥から突然ジャックが現れた。


主:ジャック、ウィルはエリオットのお使いで来てくれたのよ。


J:ふっ。おまえでもオーナーのために働くことがあるのだな。


W:…うるせえ。唐変木のおまえに言われたくねえよ。
  ……………。
  ……だが…まあ。
  ジャック、おまえには感謝してるぜ。


ウィルは、微笑を浮かべた。
その微笑に、私はぞくりとした。
だって、ウィルのその表情は氷のように冷たかったから。


J:…?


W:おまえのオーナーが、そいつだってことにな。


J:……!


……………?
…どういう、意味だろう?
そう思ってウィルを見たけれど。


W:……………。


逸らされたウィルの目は、私が問いかけることを拒絶しているようで何も言えなかった。


W:……ふっ。
  ……柄にもなくしゃべり過ぎちまったようだ。
  じゃあな。


〔ウィル退場・ドアの開閉音〕


ウィルにとって。
自分のオーナーが人を殺め、さらに自ら命を絶ったことは、大きなショックだったに違いない。


……でも。
ウィルを傷つけたのは、彼が自分に本心を見せなかったということではなかったか。


1人ですべてを決断し、1人ですべてを終わらせてしまったウィルのオーナー。


私に、彼の真意はわからない。


だけど。


彼の選んだ方法は、ウィルを深く傷つけた。


ウィルは、彼の人生から自分が排除されたように感じたのではないだろうか。
もっとも信頼し、もっとも大切に思っていた彼の人生から。


そしてそれは、彼にとって自分が本物の友ではなかったからであり…。
彼の友になれなかったのは自分が人形だからだ…ウィルはそう結論づけたのではないか。


「精霊人形をあんまり好きになっちゃダメだよ。だって、人間と人形は、本物の友達にはなれないから」


私はエリオットの言葉を思い出した。


もしかしたら、2人は同じものを求めているのかもしれない。


………だけど。
今、2人の心は大きくすれ違っているように、私には思えてならなかった。


J:どうした、アストリッド。


主:え?


J:ずいぶんとぼんやりしている。


主:…………。
  ちょっとウィルのことが気になって…。
  ねえ、ジャックはウィルのこと、いろいろ知ってるんでしょ?


J:………………。
  …おまえも知っての通り、俺の凍結が解かれたのはつい最近のことだ。
  あいつの近況については知らんも同然だ。


主:…うん、そうね…。
  あ。でも、昔のことは知ってるんでしょ?


J:……………。


ジャックは答えなかった。


……?
さっきのやり取りからしても、2人は旧知の間柄だと思ったんだけど。
違うのかな?


J:……アストリッド。
  あいつはおまえの人形ではない。
  そんな人形の過去を知って、おまえはどうしようと言うのだ?


主:え?
  ………その…。
  何かするとかってことじゃないけど…。


J:つまりは無駄話ということか。


主:……………。


ジャックのにべもない言い方に、私は戸惑った。
プライバシーをむやみに詮索するのは控えるべきだとしても、人に関心を持ったり、人を心配したりするのは、ごく自然な気持ちのはずだわ…。


J:…………自分の所有物でもない人形についてあれこれ詮索するより、おまえはもっと自分の人形を気にかけたらどうだ。


…え?


J:……………。


〔ジャック退場〕


そう言うと、ジャックは行ってしまった。

 

 

第4章