第5章:精霊人形の望み

(1)

〔街〕

駅を後にした私は、1人家路についていた。

 

お仕事で4、5日家を空ける叔父さまを見送りに、私は駅に行ったのだった。

 

叔父さまを見送ったのはよかったけれど。

汽車がずいぶん遅れたために、私の帰りも予定よりかなり遅くなってしまっていた。

 

ホリー、心配してるかな…。

 

?:お嬢さん。

 

ふいにかけられた声に私は振り返った。

 

H:こんにちは。ご機嫌いかが?〔にっこり〕

 

主:!

  ルディ。

 

ルディに会うのは、この間、家を訪ねてくれて以来だ。

 

I:……………。

 

主:あ、イグニスも一緒なのね。

  でも、こんなところで会うなんて奇遇ね。

 

ルディの隣にはイグニスが立っていた。

2人が一緒にいること。それを私は少し意外に感じた。

…もっとも精霊人形同士。会っていたところで別に不思議はないのだけれど。

 

I:……………。〔主人公から目を逸らしている〕

 

H:そうだね、これぞ運命って感じかな?

 

答えたのはイグニスではなく、ルディだった。

 

主:ふふっ。運命だなんて、大げさね。

 

H:……………。

 

………?

ルディが黙り込むなんて、珍しい…。

 

H:…お嬢さん、“運命”って言葉は大げさなんかじゃないよ。

  ねえ、アストリッド。今から僕に付き合ってもらえないかな。

 

主:え?

  …ええ、いいわ。

 

いつもと少し違う雰囲気のルディを不思議に思いながらも、私は2人の後について行った。

 

 

〔路地裏〕

ルディが私を連れてきたのは、人気のない路地裏だった。

ルディはここで、私にどんな用事があるというのだろう?

 

H:昨日ね、僕のオーナーが死んだんだ。

 

主:え?

 

グロリア様が亡くなった…?

 

主:うそ…。この間お会いしたときにはお元気そうだったわ。

 

グロリア様の心は疲弊しきっていたかもしれない。

でも、健康に問題はなさそうに見えた。

 

H:死因は心臓麻痺だってさ。

  …ま、人の命なんて儚いってことだね。

 

私は信じられなかった。

あのグロリア様が…。

 

と、ふいにあることに思い当たった。

 

主:…じゃあ、ルディはまもなく凍結してしまうの?

 

H:そういうことになるね。

  僕の命を繋いでくれる僕のオーナーはいなくなったんだから。

  もっとも、最後の接蝕は彼女が死ぬ直前だったから、もうしばらくはこうしていられるけど。

 

主:……新しいオーナーを探すつもりはないの?

 

グロリア様が亡くなってすぐにこんなことを言うのは、不謹慎かも知れない。

でも、精霊人形にとってオーナーの問題は、自身の命そのものに関わる重大な問題だった。

 

ルディはこのままただの人形に戻って、いつか誰かに目覚めさせられるのを待つつもりなのだろうか?

それとも、残された時間で新しいオーナーを選んで、新しい生活を始めるつもりなのだろうか?

 

H:……「新しいオーナー」ね。

  ふっ…僕のすべてを預けられる人間なんて、世界中探したってどこにもいないよ。

 

そう答えたルディの目は醒めきっていた。

 

ルディはこれまでも、人間からあんな仕打ちを受けてきたのだろうか。

あんな仕打ち…マクファーレン邸での出来事。

だとしたら。

私には何も言えない。

 

H:ねえ、アストリッド。

  実は、僕たちには新しいオーナーを探すよりずっといい方法があるんだ。

  精霊人形がオーナーを必要とせずに生きられる方法がね。

 

主:え?

 

H:それはね。

  人間の魂を取り込むことだよ。

 

人間の魂を…取り込む…?

 

嫌な、予感がする。

 

H:擬似魂は魂として不完全だからオーナーとの接蝕を必要とする。

  だったら、人間の…本物の魂を取り込めばいい。

  ただ、人間の魂といっても誰でもいいわけじゃない。

  取り込める魂にはいくつか条件があってね。

  今その条件をすべて満たしている唯一の人間…それがお嬢さん、君なんだよ。

 

主:…………!

 

そう言うとルディは懐から短剣を取り出した。

 

G:これは“断霊剣”といって、人間の魂を取り出す剣なんだ。

  この剣も条件があってね、使える期間が限られてる。

  魂の条件、そして剣の条件。

  今、やっと両方の条件がそろって、僕は自由になるチャンスを手に入れたんだ。

  …ねえ、アストリッド。君の魂を僕にくれないかな。

 

魂…。私の魂。

魂を奪われたら…私はどうなるの?

 

H:どうか君の魂を…命を僕に捧げてよ、人間に虐げられた哀れな人形のために。

  ねえ、天使みたいにやさしい君なら、僕の自由のために喜んで死んでくれるよね…?

 

ルディは微笑んでいた。

初めて出会った日、輝くようだと思った笑顔そのままに。

そして微笑んだまま、ルディは私に剣を向けた。

 

私は動けなかった。

 

私の魂で。

ルディは自由を得て。

私は死ぬ…?

 

今、ルディが向けている剣…あれで私は刺されるの?

そして、私は死ぬの?

そんなの…。

そんなことって…!

 

私はイグニスを見た。

 

I:……………。

 

イグニスは私から目を逸らしていた。

 

H:お嬢さん、イグニスに助けを求めても無駄だよ。

 

ルディは私の視線に気づいたらしく、そう言った。

 

H:だって、彼こそが自由を得た…つまり人間から解放された、この世でたった1体の精霊人形なんだから。

 

主:…え?

 

イグニスが、人間から解放された人形…?

つまり、イグニスにはオーナーがいないってこと?

 

H:そして、解放された人形である彼の仕事はね、精霊人形の自由を保障することなんだよ。

  そうだろ?イグニス。

 

I:………………。

  ………そうだ。

 

……!

イグニスは、人形のために…仲間のために、私は死ぬべきだって…そう思ってるの?

 

H:そういうわけだから、彼に期待しないで欲しいな。

  さあ、いい子だから、おとなしく僕にその魂を…。

 

?:ドロボーっ!!

 

私たちは一斉に声がした方に振り向いた。

 

?:ドロボーっ!誰かっ!!誰か捕まえてっ!…早くっ!!

 

何?強盗があったの?

 

四方から人の集まってくる気配がする。

 

そのとき、おろおろとあたりを窺う私の視線とイグニスの視線がぶつかった。

 

I:……!

 

イグニスの目は、私に“逃げろ”と合図していた。

 

そうだ、逃げなきゃ!!

 

私は、まだ向こうに気を取られているルディの目を盗んで走り出した。

 

H:!!

  チッ!

 

I:待て、ホブルディ。

  人間が集まってきた。ここで事を起こすのはまずい。

  今は退いた方がよかろう。

 

H:………………。

 

 

〔リード邸・ダイニング〕

主:………………。

 

私は夕食を終え、1人お茶を飲んでいた。

 

Hl:…アストリッド様、どうかされたのですか?

  ずいぶんお疲れのようですが…。

 

主:えっ?…ええ。

  大丈夫よ。今日は遠くまで行って来たから…。

 

…まさか、ルディに命を狙われて、逃げ帰ってきたなんて。

しかも、イグニスも関係していただなんて。

ホリーには言えなかった。少なくとも、今は打ち明ける気になれなかった。

あれからだいぶ時間は経っていたけれど、私はまだ、今日の出来事を整理できないでいた。

 

ちょっと…1人で考えよう…。

 

私はダイニングを出た。

 

 

〔廊下〕

I:……!

 

イグニス…!

 

I:……………。

 

イグニスは、私から視線をはずした。

 

さっきの状況が甦る。

あのとき、イグニスは私を逃がしてくれた。

ルディが追って来なかったのは、たぶんイグニスが引き止めてくれたからだろう。

だけど。

ルディが私に短剣を向けたとき、黙って見ていたことも事実だった。

 

イグニスは私の味方なの?

それとも…。

 

I:…………。

 

イグニスは、1度はずした視線を私に戻した。

 

I:…………。

 

〔イグニス退場〕

 

でも、結局イグニスは無言のまま、私の前から立ち去った。

 

 

〔主人公の部屋〕

私は今日の出来事を思い返していた。

 

ルディは私の魂が欲しいと言った。

自由を得るために、それが必要なのだと。

 

……ホブルディ。金色の人形。

きらきらした笑顔が魅力的で、陽気で、人懐こくて、無邪気で…。

そして残酷な人形。

でもその残酷さは、人間が植えつけたものではなかったか。

 

ルディは…。

ううん。精霊人形たちは。

人間の憎しみや悲しみ、あるいは暗い欲望をただひたすらに受け入れてきたのだろうか?

ルディはあの日、理不尽な仕打ちを受けていながらまだ、グロリア様に従おうとしていた。

逃げることも逆らうこともできず、人形はただ人間に縋るより手だてがない。

精霊人形という性ゆえに。

 

イグニスは。

自身が解放された人形である彼は、仲間が解放されることを望んでいるのだろうか?

 

………………………。

 

……たぶん、そうだろう。

 

“人形の解放を保障することが彼の仕事だ”…ルディはそう言った。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(2)

<翌朝>

 

〔キッチン〕

主:おはよう、ホリー。

 

Hl:おはようございます。

  今朝はお早いのですね。

  すぐに朝食の準備をいたします。

 

主:ホリー…あのね。

 

Hl:はい?

 

主:ホリーは、人間から自由になりたいって思ったことがある?

 

Hl:自由…ですか?

  ……………。

  あの…アストリッド様。

  もしかして、“精霊人形の解放”のことをおっしゃっているのですか?

 

主:ホリーも知っているのね、“解放”のことを。

 

Hl:…ええ、一応は…。

  でも、もしそれが出来るとしても…私は、人間から自由になりたいなんて思いません。

 

主:どうして?

  人間に命令されるばかりなんて嫌だと思ったことはないの?

 

Hl:………………。

  他の精霊人形たちのことはわかりませんが…。

  私は、オーナーに仕えられることを心から幸せだと思っています。

  私はオーナーの持ち物だからこそ、お側に置いてもらえるのです。

  もしも、私が誰の持ち物でもなくなってしまったら…オーナーとの絆を結ばずに生きていかなければならないとしたら。

  私には、生きる意味がわかりません。

  だって私たち人形は、人間に必要とされたからこそ、この世に生み出されたのですから。

  ………あの、アストリッド様。

 

主:?

 

Hl:アストリッド様、私は…。

  私はずっと、貴女様のお側で生きていきたいです。

  これからも、いっそうお役に立てるよう励みますから、どうか、この先もずっとお側にいさせて下さい…。

 

主:…ホリー…。

 

ホリーの言葉はうれしかったけれど。

同時にそれは重く私にのしかかった。

精霊人形のホリーは、綺麗で、優秀で、そして人間のように老いることもないだろう。

だけど、彼女はいつも怯えているのだ。

彼女が「生きる意味」だという人間たちは気まぐれで、気に入らなければ人形の生などいとも簡単に奪ってしまう…そのことを知っているから。

 

主:……………。

  ありがとう、ホリー。

  私もずっとホリーと一緒にいたい。

  でもね、ホリー。これだけは覚えておいて。

 

Hl:…?

 

主:私は、ホリーを自分の持ち物だなんて思ってないわ。

  ホリーは人形だけど、心を持っているんだもの。

  だから精霊人形とオーナーという関係はあるとしても、オーナーは精霊人形を、ただの人形のように持ち物にすることなんて出来ないって、私はそう思ってる。

  ねえ、ホリー。愛情って、誰かの持ち物にならなくたって、いくらでも受け取れるのよ。

 

Hl:…アストリッド様…。

 

主:お仕事の邪魔しちゃったわね。ごめんなさい。

  …じゃ、あとはお願いね。

 

私はキッチンを出た。

 

I:!

 

主:!

 

キッチンを出たところで、私はイグニスと鉢合わせた。

 

主:イグニス…。

 

I:…………。〔気まずそうな顔〕

 

主:おはよう、イグニス。

 

I:………ああ。

 

イグニスは昨日のことをどう思っているのだろう。

 

I:………………。

 

おそらく、彼はルディの味方だ。

だって、私はイグニスのオーナーではないし…2人は精霊人形同士だもの。

 

そうわかっていても、彼に対する警戒心は不思議なほど起こらなかった。

 

主:イグニス。私、あなたがそんな特別な人形だったなんて知らなかったわ。

 

本来、精霊人形はオーナーに依らず生きることは出来ない。それは精霊人形が生きる上での大原則とでもいうべきもののはずだ。

だけど彼だけは、その原則から逸脱した、とても特殊な人形だった。

 

I:……………。

  ……そうだ。私は他の人形たちと違い、被験体だった。

 

主:「被験体」?

 

耳慣れない言葉に、つい聞き返す。

 

I:被験体とは実験用の人形のことだ。

  精霊人形は一朝一夕に完成したわけではない。

  多くの人間の長きにわたる研究とさまざまな実験を経て、現在の精霊人形があるのだ。

  ところでお前は、人間は何のために精霊人形を作ったと思っている?

 

主:…え?

 

I:人形は最終的には人間に奉仕させることが制作目的となったが、本来の目的は別のところにあった。

  その目的とは、「神の偉業を人間の手で再現する」ということだった。

 

神の偉業を人間の手で再現する…?

 

I:神が命のない物から生命を創ったように、人間もまた命のない物から生命を…特に人間を創ることで、人間の真理を知ろうとしていた。

  この考えに基づいて人形を制作していた者たちにとっては、オーナーに依存しなくては生きられない人形はまだ完成とはいえなかったのだ。

  そのため一部の人形師は、オーナー…すなわち人間に依らず生きられる自立型人形の研究用として、人形を手元に置いていた。

  私はそのうちの1体だった。

 

今の話から推測すると、オーナーを持たない人形…イグニスの言葉を借りるなら、“自立型”の精霊人形が誕生する前からイグニスは存在していたということになる。

つまり、イグニスも生まれつき人間から自由の身だったわけではない、ということだ。

 

主:イグニスも、もともとはオーナーを持つ普通の精霊人形だったってこと?

 

I:そうだ。私にもかつてはオーナーがいたのだ。

  もっとも、そのオーナーとは私の制作者である人形師だったが。

  長い研究の末、ついに人形師たちは自立型の人形を作り出すことに成功する。

  その方法は、オーナーを必要とし、オーナーに拘束される依存型の人形…つまり一般の精霊人形を、自立型へと移行させるというものだった。そのため、この方法は“解放”と呼ばれた。

  しかしその頃、時代はすでに人形を排除する方向へと向かっていた。

  人間ごときが神の業を暴き、習得しようなどそれこそ神への冒涜であり、“人間ならざる人間”である人形は呪われた存在であると見られるようになっていたのだ。

  また、精霊人形が世に出回ることで、精霊人形をめぐっての揉め事が人間たちの間で頻発するようになった時代でもあった。

 

「精霊人形をめぐっての揉め事」

イグニスの話は、私にマクファーレン邸での出来事を思い出させた。

精霊人形に対する人々の思いは、健やかで美しいものばかりではなかったのだろう…。

 

I:いずれにせよ、精霊人形を災いの種と見る風潮が人間社会全体を覆っていた。

  そのため、その頃の精霊人形研究は、人間の僕としてより優れた人形作成のための研究はかろうじて許されていたが、人間から自立させようとする研究は厳しく禁止されていたのだ。

 

主:でも、自立型の精霊人形は生み出されたんでしょう?

 

I:…自立型の精霊人形の研究は、真理を追究するごく少数の人形師によって、秘密裏に進められていたということだ。

  そのため、“解放”の術は、完成後も公表されることはなかった。

  ただ、限られた人形師と人形のみが知る秘術として存在し、まもなく人形の時代そのものが終焉を迎える。

 

以前、叔父さまから聞いたわ。

人間によって作られた精霊人形は、人間の手によって廃棄処分されたのだと。

ホリーとイグニスは、その難を逃れた数少ない精霊人形なのだろうと。

 

I:しかし、“解放”への方法が確立したことは事実であり、その術のすべては私に託された。

  人間からの自由という選択を保障すること…それが、解放の術を預かる人形としての私の義務なのだ。

 

銀色の人形、イグニス。

解放の術を預かる、人間の拘束を受けない唯一の精霊人形…。

 

主:……ねえ、イグニス。

  私、昨日から気になってたことがあるんだけど。

 

I:何だ。

 

主:解放された人形は、精霊人形のオーナーになれないの?

 

おそらく接蝕を必要とする普通の精霊人形では、人間の代わりを務められない。

だけど、解放された人形…つまり、より人間に近い精霊人形なら…?

 

そう。もし、それが可能なら。

ルディは、彼が憎んでいる人間の所有物にならずに生きられるのではないだろうか?

 

I:…………………。

  ……結論を言おう。

  精霊人形は、精霊人形のオーナーになることは出来ない。たとえ、解放された人形であってもだ。

  精霊人形が人間の束縛から逃れることを望むならば、人間の魂を取り込む“解放”以外に手段はない。

 

主:………!

 

…ああ、そうね…。

もし、精霊人形が精霊人形のオーナーになれるなら、彼はとっくに人間との繋がりを断っていたに違いない。

 

主:イグニス。

  もう1つだけ、聞いていい?

 

I:…言ってみろ。

 

主:イグニスは解放されて…人間から自由になって、幸せだった?

 

I:………………。

 

イグニスは口を閉ざした。

 

I:………………。

 

沈黙が続く。

 

答えづらい質問なのはわかっていた。

わかっていて、それでも私はイグニスに聞きたかったのだ。

解放は、精霊人形を幸福にしてくれるのかを。

 

I:…私は、研究の成果として解放されたのだ。

  解放された人形として生きていくことも、人形の行く末を見守っていくことも、すべて自分の使命として受け入れている…ただそれだけだ。

 

〔イグニス退場〕

 

イグニスにとって解放とは。

ルディにとっての解放とはまったく違う意味を持っていた。

“使命”…彼は、自分が持つ自由をそう呼んだ。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(3)

<翌日>

 

〔黒背景〕

身支度を整えた私は玄関を出た。

 

〔庭〕

とりあえず…彼のお屋敷に行こう。

 

?:どこへ行くつもりだ。

 

ふいにかけられた声に、私は視線を上げた。

 

I:…………。

 

主:イグニス。

 

そこにいたのはイグニスだった。

 

主:これからルディに会いに行くわ。

 

I:…どういうつもりだ。

 

そう私に問う彼の口調は、どこか非難めいていた。

 

主:イグニス。

  あなたは人形の解放に賛成じゃないの?

 

I:…!

 

主:私、決めたの。

  私の魂を彼にあげようって。

 

I:!?

 

主:私の魂でルディが幸せになって、人間の罪が少しでも贖えるなら…私はそうしたい。

  そうすれば、イグニス。

  あなたも1人ぼっちじゃなくなるわ。

 

I:!

  何を…。

 

イグニスは孤独を強いられた人形だ。

ルディのように人間を拒んだ人形ではない。

 

解放された人形は、他の精霊人形たちのように人間に縛られて生きる必要はない。

それは自由ではあるけれど…孤独でもあったはずだ。

 

今、自由の身であるイグニスは、決してその自由を謳歌しているようには見えなかった。

むしろ“精霊人形の自由を保障する”という義務こそが彼を支えているように、私には思えてならなかった。

そしてその義務は、解放の術を編み出した人形師との約束だったのだろう。

 

人形師…つまり、人間との約束。

 

イグニスは、人間から自由の身でありながら。

人間との絆を求めているのかもしれない。

 

……もしも、そうであるなら。

解放された人形として生きるのは、とても寂しいことだったはずだ。

 

しかも解放された人形はイグニスだけなのだ。

ただ1人別の宿命の元に生きている彼は、人間と共に生きる他の人形たちとその寂しさを分かち合うことは出来なかったに違いない。

……だけど。

もし、ルディが彼と同じ解放された人形となれば…彼の孤独も、少しは癒えるだろう。

 

I:ホリーはどうするのだ。

  お前の魂が奪われれば、ホリーの命も失われるのだぞ…!

 

主:叔父さまがいるわ。

  叔父さまなら、ホリーを大切にしてくれる。

  それに、もともとホリーは叔父さまの人形だったんだもの。それが1番いいわ。

 

I:…しかし、今、ホブルディの居場所がわからない。

  グロリアが死んで、奴はあの屋敷から姿を消している。

 

H:僕ならここにいるよ。

 

主:ルディ!

 

I:!

  ホブルディ!

 

H:話は聞かせてもらったよ。

  君は本当に心のやさしい女の子だね。まるで本物の天使みたいだ。

 

いつからそこにいたのか、姿を現したルディはにっこりと微笑んでいた。

初めて出会ったときと変わらないきらきらした笑顔で。

 

H:じゃあ遠慮せず、僕は君の魂をもらうとするよ。

 

そう言うと、ルディは懐からあの剣を取り出した。

 

主:……ええ、いいわ。

  でも、ルディ。その前にお願いがあるの。

 

H:………何?

  僕に叶えられるような願い事かな?

 

私にはルディに魂を渡すと決めたときから、考えていたことがあった。

 

主:剣を私に貸して。

  魂は自分で取り出すわ。

 

H・I:なっ…!?

 

主:ルディ。あなたの新しい人生がこれから始まるのよ。

  その門出を血で汚してはいけない。罪と引き換えに得た自由ではいけないわ。

  だから魂は私が自分で取り出す。

  その剣で胸を突けばいいんでしょう?

 

H:…………。

 

ルディは混乱しているようだった。

 

そうよね。もし、その剣を奪って逃げられたら、機会は失われてしまう。

簡単には信用してもらえないかもしれない。

でも同じ魂なら、罪に塗れた魂ではなく、何ら疾しさのない魂をルディに受け取って欲しかった。

 

……しばしの沈黙のあと。

ルディは口を開いた。

 

H:…ダメだよ、アストリッド。

  人間は信用できない。

 

彼の答えは、私を…人間を拒絶するものだった。

 

私が自分で魂を断つことが、彼への罪滅ぼしの1つになると思ったけれど。

それさえも彼は拒んだ。

それほどまでに彼の人間への不信感は強かったのだと、私は改めて思い知らされた。

 

主:……わかったわ、ルディ。

  これ以上、言うことは何もないわ。

 

精霊人形。

心を持ちながら、その心のままに生きることを許されず、人間に縛られつづけた人形たち。

精霊人形が自由を欲して何が悪いのだろう。

私の魂こそが人形を救えるのなら…それがきっと、私が人形たちと出会った意味だ。

美しくて、無垢で、そして哀しい人形たち。

彼らに出会ったことを…私は後悔していない。

 

ルディはゆっくりと私に向かい、私の目前で足を止めた。

あともう少し歩を進めれば、互いに触れられる…その距離に彼は立っていた。

 

H:……………。

 

握られた短剣は、ルディの胸元で冷たい光を放っている。

 

あの剣が振り上げられ、私に向かって振り下ろされたとき。

私の人生は終わる。

……そう考えながらも、私はまだ、自分が死ぬという実感を持てないでいた。

 

I:…待て!

 

突然、イグニスが声を上げた。

 

H:何?

 

I:………いや…。

  ……………。

 

H:あのさ、イグニス。

  さっきから気になってたんだけど。

 

I:…何だ。

 

H:君はさっきから、彼女に魂の譲渡を思いとどまらせるようなことばかり言ってるよね。

  彼女はくれるって言ってるんだから、素直に喜べばいいじゃないか。精霊人形の番人として。

  それとも何?彼女に情が移ったわけ?

 

I:!

 

え?

 

I:……………。〔苦悶の表情〕

 

H:まあ、君の気持ちなんかどうでもいいけど。

  でも、イグニス。

  くれぐれも僕の邪魔だけはしないでよね。

 

I:……。

 

H:…さてと。アストリッド、覚悟はいいかな?

 

ルディの言葉に私は大きく頷き。

そして目を閉じた。

 

〔暗転〕

……次に目を開けた時。

すべては終わっているだろう…。

 

…………………。

 

しばらくの静寂の後。

 

〔地面を蹴る音〕

 

すぐ側で、人が大きく動く気配がした。

 

H:!!

 

I:…!

 

…………。

 

………………。

 

……………………。

 

……?

 

確かに気配はあったのに…なんともない。

……どういう、こと?

 

私は、おそるおそる目を開けた。

 

〔暗転明け・イグニスの背中〕

私の目に入ったのは、イグニスの背中だった。

 

でも、その背中は、私の目の前でゆっくりと崩れ落ちていった。

 

主:…イグニス?

 

H:………!

 

ルディは呆然とイグニスを見ている。

彼の手に、あの剣はなかった。

……まさか。

 

I:……っ。

 

剣は、イグニスの胸に刺さっていた。

しかもイグニスはその剣を握り、さらに自らの胸に深く突き刺していた。

 

主:イグニス!!

  イグニス…どうして!?

 

I:………っ!

 

そして十分深く刺さったところで、イグニスは一気に剣を胸から引き抜いた。

 

主:!!

 

H:!?

 

その刀身には、金色に輝く炎が絡みついていた。

 

あれが…魂!?

 

イグニスは、魂を帯びたその剣をルディに向かって投げた。

 

H:…!!

 

I:ホブルディ。…その魂をお前に与える。

  その魂で…解放された人形となるがよかろう。

 

H:!

 

I:…そしてこの先……。

  私に代わって、人形の行く末を見守る番人となるのだ…いいな。

 

H:…イグニス…。

 

I:それから…アストリッド。

 

主:何…イグニス?

 

I:私を…私をお前の人形にしてくれ。

 

主:え……?

 

I:どうか…私を…そのぬくもりで満たして欲しい…。

 

それだけ言うと、

 

〔倒れる音〕

イグニスは私の胸に倒れこんだ。

 

 

第6章