エピローグ
〔リビング〕
I:……その…アストリッド…なんだ…。
主:大丈夫よ。先にお部屋で待ってて。
私もすぐに行くわ。
I:…ああ。
〔イグニス退場・ドアの開閉音〕
S:どうもソワソワしてると思ったら、今日は彼の“あの日”か。
主:ええ、彼との接蝕は今日が初めてだけど。
イグニスを目覚めさせてから、早2週間。
私たちは初めての接蝕日を迎えていた。
S:……ホリーとはともかく、イグニスか…。
…はあ。
接蝕って…アレだよな。
精霊人形にとっては必要不可欠なものだし…別に実質的にどうってものでもないんだけど、正直、なーんか抵抗が…。
主:……………。
私は曖昧な笑顔を作ることしか出来なかった。
〔暗転〕
私の人形となったイグニスは、このお屋敷で一緒に暮らすことになった。
そして最近はお屋敷のために働いてくれている。
暮らしている人間は私と叔父さまの2人だけだったし、主な家事はホリーがしてくれていたのだけれど。
それでも広いこのお屋敷にはいくらでも仕事はあったし、彼自身も、ただ自由に時間を過ごすより、何か「やるべきこと」がある方が落ち着くようだった。
〔ドアの開閉音〕
〔暗転明け・イグニスの部屋〕
主:お待たせ、イグニス。
I:あ…ああ。〔落ち着かない様子〕
主:大丈夫?イグニス。
I:えっ?…あっ…ああ、大丈夫だ。
ただ、あまりに久しぶりでな…。
…イグニス、緊張してるのかな…?
主:じゃあ、始めましょうか。
主:…そうだな。
そう答えてイグニスは、私の足元に片膝をつき、目を伏せた。
私は、差し出された彼の額に左手のひらを当てた。
そして意識を彼に向ける。
イグニス…。
私はここよ…。
I:……………。
私の呼びかけに応じるように、イグニスの体が淡い光を帯び始める。
接蝕中に起きるこの現象を見るのは、もちろん初めてではない。
だけど何度目にしても、青白い光に包まれた精霊人形はとても幻想的で、この光景は神秘的だった。
I:……………。
いつしか、イグニスの視線は私のつま先から上に移動し、今は私の目を見つめていた。
そして、渇くようなあの感覚が私の内側で起こる。
I:…っ。
と、ふいに。
イグニスは、一瞬、虚を衝かれたように軽く目を見開くと、わずかに身を乗り出した。
まるで、反射的に私に縋りつこうとして、でも自分の意志で踏みとどまったかのように。
I:……………。
私を見上げるイグニスは、普段の彼からは想像できないほど無防備で。
身も心も、すべてを私に委ねきっているかのようなその様子は、どこか幼ささえ漂い。
姿こそ同じでも、今の彼は普段の彼とはまるで別人のようだった。
甘美な夢に身を浸しているかのように、イグニスはうっとりと私を見つめている。
そして、うっすら開いた唇からは深い吐息が漏れていた。
……………接蝕は、彼の積年の寂しさを少しは埋めてくれるだろうか…。
しばらくして、私の中からあの感覚は去った。
そしてイグニスの発光も収まる。
主:…イグニス?
I:……………。
返事はなかった。
イグニスはもう、眠っているのだろう。
……………。
…ああ、そうだ。
接蝕をしないということは、彼は眠ることも出来なかったのだ。
解放されているということは、休眠も凍結もないのだから…彼は休息の時間をまったく持たない“眠らない人形”でもあったのだ。
私は少し乱れたイグニスの髪を撫でて整え、そのまま白い頬をそっとさすった。
おやすみなさい、イグニス。
私の、お人形さん。
『人形と解放』編(ひとつめのおはなし)I END(5)