第７章：解放、それから
（１）
〔屋敷・外観〕
〔呼び鈴〕
〔玄関〕
Ｇ：…ごきげんよう、サイラス。
Ｉ：…………。
Ｓ：…ジル…。
それから君は、イグニス…かな。
Ｉ：…サイラス・リード。あの娘の身内か。
Ｓ：君らがいったい、今更何の用？
Ｇ：ホブルディに会いたいと思ってね。
あれから３日…彼ももう、目覚めているはずだ。
ところでサイラス。
君も事情はすでに知っているのだろうね。
Ｓ：…ああ。
そう思ってて、ここに来るなんて…どういう神経をしているのか理解に苦しむよ。
僕の我慢の限界がこないうちに出て行ってもらえないかな。
Ｇ：サイラス、君の怒りはもっともだ。
君の愛する者の命を奪ったのは他ならぬこの私なのだ。どのような非難も甘んじて受けよう。
だが、ホブルディにはとても大切な話があるのでね。
君が面会を許してくれるまで、私はここを動かないつもりだよ。
Ｓ：それって、実のところ脅迫なわけ？
君さ、物腰は柔らかいのに言ってることは厚かましいよね。
Ｇ：……君を脅迫しているつもりはないが…。
そう解釈するというのなら、弁解はしないよ。
……………。
Ｓ：…………。〔ため息〕
まあ、いいだろう。
僕は君らに敷居を跨いで欲しくないけど…アズは会いたがってるだろうからね。
Ｇ：………。
〔暗転〕
Ｓ：ルディ、入るよ。
〔ドアの開閉音〕
〔暗転明け・主人公の部屋〕
Ｈ：……。〔ジル、イグニスに目をやる〕
Ｈ：……………。〔興味なさそうに２人から視線をはずす〕
Ｇ：ホブルディ、あれから体調はどうだい？
Ｈ：……………。〔無視〕
Ｇ：今更だが…君にはすまないと思っている。
Ｈ：……………。〔完全無視〕
Ｓ：ルディはあれからずっとこんな調子でね。
僕もほとんど口をきいてもらえない。
Ｇ：…彼女は？
Ｓ：そこだよ。
〔ベッドに横たわる主人公〕
Ｓ：僕が出張を終えて帰宅したとき、ジャックとウィルが待っていてね。
彼らから２人の身に起こったことを聞いた。
戻ってきたアズは、とても死んでいるように見えなくて…。
……………。
だって、今もまだ、触れば肌はあたたかいし、体もやわらかいんだ…！
眠っているとしか思えなくて…こうしてここに寝かせてある。
Ｇ：……………。
…………ホブルディ。
君に良い知らせだ。
Ｈ：……………。
Ｇ：私は、彼女に魂を返す。
Ｈ：…？
Ｇ：私は、彼女に魂を返すためにここに来たのだよ。
Ｈ：……！
Ｇ：私は疲れていた。人間に連れ添って生きていくことに。
人間の望みを叶えること…それが精霊人形の存在理由だと思っていた私は、長い間、人間のために力を尽くしてきた。彼らに乞われるままにね。
だが、人間の望みを叶えることが、すなわち人間の幸福ではなかった。
１人の人間の望みを叶えることが別の人間の幸福を奪い、そしてあるときは、それを望んだ人間さえもが不幸になった。
そんなことが重なるうちに、私は人間というものがわからなくなり……。
やがて、人間は自分が思っているような、畏れ多く、敬うべき存在ではなかったのだ…そう考えるようになった。
Ｈ：…………。
Ｇ：人間は時に欲望に溺れ、過ちを犯すものだ。
だが……人間はまた、美しく、尊いものでもあった。
彼女の真心に触れて、改めて私はそのことに気づかされた。
私が長く抱いていた人間への畏敬の念は、間違っていなかったのだよ、ホブルディ。
Ｈ：……ジル。
Ｇ：それがわかっただけで、私は十分だ。
だから私は彼女にこの魂を返す。
私にはもう、必要のないものだからね。
Ｈ：……！
Ｓ：魂を返すって、そんなこと可能なのかい？
Ｉ：事例はない。
そもそも、１度解放された人形を再びただの人形に戻そうとする者などいなかった。
Ｓ：じゃあ、どうやって？
Ｇ：解放と同じ要領でどうだろうか。
つまり、私が取り込んでるアストリッドの魂を断霊剣で取り出して、そのまま彼女の胸に押し込む。
Ｓ：……とにかく、そのやり方で試すってこと？
Ｇ：そういうことだね。
Ｉ：そんな方法で成功するとは私には思えんが…是が非でも決行すると言うのならば、さしあたりそれが妥当だろう。
ただ、魂の摘出・移植は、魂自体は元より、身体にも直接干渉する危険な行為だ。
人形であれ人間であれ、魂、身体、どちらかに欠陥ができれば、生きることはできなくなる。
死を待つのみの人間側は試す価値があろうが、人形側にあるのはリスクだけだ。
Ｇ：イグニス、私はそれを承知でここにやって来たことを君も知っているはずだ。
たとえわずかでも彼女が生き返る可能性があるなら、私はそれに賭けたい。
もし願い叶わず、命を落とすことになったとしても…私は後悔しない。
Ｈ：………ジル、本気なの？
Ｇ：ああ、無論だ。
今すぐ、取りかかってかまわないかな？
〔暗転〕
………………。
〔暗転明け・リビング〕
Ｓ：……………。
Ｇ：……………。
Ｉ：……………。
Ｈ：……………。
どうして、ダメなんだよ？
どうしてアストリッドの体は、魂を受け入れようとしないんだよ！？
自分の魂なのに…！
Ｓ：…………。〔ため息〕
とにかく失敗だ。
ジルから魂を取り出すところまでは順調だったけど…アズの体がそれを受け入れないとはね。
Ｉ：おそらく鋲素が消失したせいだろう。
原型魂は擬似魂と違い、肉体から分離すると鋲素が消失する。
それは説明済みだったな、ジル。
Ｇ：………。
だが、私には奇跡にすがるしかなかった。
Ｉ：残念ながら奇跡は起きなかったということだ。
まず、魂の定着には鋲素がなくては話にならない。
原型魂であれ、擬似魂であれ、魂は鋲素によって受容素と結合し、それによって魂は、器、あるいは肉体に定着している。
擬似魂が持つ疑似鋲素は、形状こそ受容素との結合に適当ではないが、器から分離しても消失しないところに特徴がある。
それに対し、原型魂の持つ鋲素…。
Ｓ：ちょっと待った。
何だか、具体的で専門的な話になってきたね。
僕も多少は精霊人形の仕組みについて知ってるつもりだけど…。
君たち精霊人形は、人間によって“生産”されてたんだろ？
ということは、精霊人形の仕組みは、それ相当に解明されていたってことなんだよな？
人形の器、擬似魂、人間の肉体、本物の魂、断霊剣…。
過去に成功例がないというなら、アズの蘇生には、それら知識を総動員して取り組むべきじゃないのか？
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（２）
<数日後>
〔リビング〕
Ｓ：………………。
Ｈ：サイラス。何してるの？
Ｓ：ん？
ああ、精霊人形に関する知識をまとめてたんだ。
蘇生法も一応方針が固まったことだしね。
……………………………………………………………………………………………………………
サイラスのノート
……………………………………………………………………………………………………………
<精霊人形の仕組み>
人間に限らず、すべての生物は肉体（実性物質）に魂（霊性物質）が宿ることで「生」を得ている。
そして肉体に魂が宿るためには、両者を結びつける霊性物質「結合素」が必要である。
魂側の結合素を「鋲素」、肉体側の結合素「受容素」といい、この２つが結びつくことで肉体（実性物質）は「生命」を持つことができる。
精霊人形もまた疑似結合素を持つが、疑似魂をそのまま器に移植しようとしても、疑似魂を器に定着させることはできない。
なぜなら、疑似結合素は結合に適した形状を持たないからである。
そのため、不定形の疑似鋲素を人間の受容素に押し込み、結合に適した「型」を取る必要がある。
さらに疑似魂は、この「型」を維持するための霊性物質「固着物質」を持たないため、これも人間の魂（原型魂）から取り込む必要がある。
定着に適した鋲素の形状と、その形状維持のための固着物質を得て、初めて精霊人形は「生命」を持つことが可能である。
ただし、固着物質は時間の経過と共にその固着力が衰えるため、定期的に人間から取り込む必要がある。それが接蝕である。
<仕組みをふまえて>
魂を奪われた人間を蘇生するためにはどうすればよいか？
肉体に魂を再び宿らせることが必須であるが、単純に魂を肉体に押し込むだけでは、定着は不可能なようである。
原因として考えられるものは２つ。
１つは鋲素が失われていること。
疑似鋲素は器から分離しても失われないが、人間の鋲素は肉体から分離すると失われる。
しかし、鋲素は魂内で均一化される性質がある。
そのため、疑似魂を内包する器に取り込まれた原型魂は、疑似魂に内在する疑似鋲素を取り込んでいる可能性が十分ある。
となると、鋲素を持ちながら肉体に魂を定着させられない理由は、もう１つの原因、鋲素の型が合わないからだと考えられる。
鋲素は人間１人１人その形状が異なり、鋲素と受容素はいわば鍵と錠の関係にある。（ちなみに、接蝕がオーナーとのみ可能な理由も、このことが関係している。）
現在、原型魂に取り込まれている鋲素の型はジルのオーナーのものであるため、彼女の受容素は魂を受け入れられない。
ならば、彼女と同じ型の鋲素を原型魂に取り込ませれば定着は可能となるはずである。
そして、彼女と同じ型の鋲素は、彼女の精霊人形であるホブルディが持っている。
<精霊人形解放に使える魂の条件>
・オーナー経験者であること。つまり過去に精霊人形と接蝕したことがある者。
・年齢が16歳以上20歳未満であること。
・魂の提供を受ける人形と異性であること。
……………………………………………………………………………………………………………
Ｓ：それなりに勝算はあると僕は思うけど…。
しかし、推測の上の推測じゃ、運任せと大差ないかもな…はは。
…………。〔ため息〕
Ｈ：…でも、これ以上のんびり考えてるわけにもいかないよ。
たぶんアストリッドの体が、もう長くは持たない。
Ｓ：そうなんだよな。
リスクは覚悟の上で踏み切るしかない…か。
〔ドアの開閉音〕
Ｇ：……。
Ｈ：…………。
Ｓ：ジル。あれから、何かわかったかい？
Ｇ：いや…。地下室にあったいくつかの本を当たってみたが、蘇生の手がかりになるような記述は見つけられなかったよ。
Ｓ：…そうか。
Ｈ：…君さ、本当にやる気あるわけ？
ぜんぜん真剣味が感じられないんだけど。
Ｇ：…………。
私は彼女が目を覚まし、再び微笑んでくれることを心から望んでいる。
それを疑われるのは残念だな。
Ｈ：あー、もう、そういう殊勝ぶった顔も、ホントにムカつく！
はっきり言って僕は、この屋敷に君がいることだって我慢ならないんだ！
だいたいさあ、誰のせいでこんなことになってるって思ってるわけ！？
Ｇ：…！
……………。
Ｓ：…………。〔咳払い〕
なあ、ルディ。お茶を入れてきてくれないかな。
根詰めてたら喉渇いちゃってさ。
頼むよ。
Ｈ：………………。
〔ホブルディ退場〕
Ｇ：…………。〔沈痛な顔〕
Ｓ：…………。
Ｓ：“欲望”ってさ。
Ｇ：？
Ｓ：向こうからやって来るんだよな。
Ｇ：…？
Ｓ：頼みもしないのに向こうから勝手にやって来て、強引につかまれて、引きずられる。
こっちの事情なんてお構いなしだ。
“どうして？”とか“何のため？”なんて問いかけも、こいつの前では無意味でさ。ただ、“欲しい”それだけ。
それを手に入れるまでは、どんな犠牲も「仕方がない」の一言で片づけられる。
……ま、犠牲にされた方はたまったもんじゃないだろうけどね。
Ｇ：……。
それは、私のことを言っているのかな？
Ｓ：さあ。僕は君のこと、たいして知らないからね。
これは僕自身の話だ。
だから今、天誅を喰らってる気分だよ。
Ｇ：……？
Ｓ：自分のことならいい。
人に嵌められようが、一文無しになろうが、体を壊そうが、自業自得と笑える。
でも、こういうのはダメだ。笑えない。
今回の件と、僕のこれまでの行いとは直接関係がないのはわかってる。
だけどこういうとき思うんだよな。素行が悪いとさ。
因果応報。こんなことになったのは自分のせいじゃないかってね。
Ｇ：……「自分のせい」？
Ｓ：自分で言うのもなんだけど。
僕は自分で事業を起こして、自分の力で“一角の”地位と財を手に入れた。
だけど、尊敬と賞賛と感謝だけを集めて、ここまできたわけじゃないからね。
Ｇ：…サイラス。
Ｓ：…さてと。僕はもうしばらくここでのんびりしていくよ。
ルディがお茶を入れてきてくれるはずだしね。
ジル、君は退散した方がいいね。
今、彼に君と仲良くしろって言えるほど、僕は神経が図太くないんでね。
まあ、あまり彼を刺激しないでやって欲しいな。
Ｇ：………そうだね。たしかに今の私にできるのはそのくらいだ。
また彼の目に触れないうちに、立ち去るとしよう。
〔ジル退場〕
<翌日>
〔アストリッドの部屋〕
Ｓ：…全員、集まっているね。
人形たち：………。
Ｓ：じゃあ、これからアストリッドの蘇生を始める。
手順を確認しておこう。
まず、ジル。断霊剣を使って、君からアズの魂を抜く。
その魂を、ルディに一旦入れて、ルディの鋲素を取り込ませる。
それから、魂を再び抜いて、ルディからアズの体に移す。
これだけだ。
Ｇ：………。
Ｈ：………。
Ｓ：ジルから魂を抜くところまでは、まあ大丈夫だろう。
問題はそこから先…取り出した魂をルディの器が受け入れるかだ。
もしも受け入れなければ終了だ。
魂はジルに戻す。今更いらないとは言わせない。
Ｇ：…ああ、わかっている。
Ｓ：それから、ルディから抜いた魂をアズの体が受け入れなくても終了だ。
そのときはルディが魂を受け取って、ルディが解放された人形となる。
いいね。
Ｈ：…うん。
Ｓ：…………。〔ため息〕
なあ、２人とも。本当にいいのかな？
Ｈ：「いい」って、何が？
Ｓ：もしかしたら、どちらかが死ぬかもしれない。
最悪、２体の人形が再起不能となって、アズも生き返らない…その可能性もある。
それでも…。
Ｈ：僕はかまわない。
Ｇ：私もだ。
Ｓ：……そうか。
Ｇ：……サイラス。
Ｓ：ん？
Ｇ：君は、彼女さえ生き返ればいいのではないのかい？
Ｓ：……………。
こんなことになって、僕は、彼女に精霊人形を引き合わせたことを後悔した。
特にジル、君のことは憎んでたよ。
君こそがアズの命を奪った張本人なんだからね。
だから君がアズに魂を返したいと言ったときは、とにかくチャンスだと思った。
あのときもイグニスは言ってただろう？人形側にはリスクしかないって。
でも、そのとき僕はそんなことはかまわないと思っていた。
人の命を奪った人形が死のうが生きようが、どうでもいい。
アストリッドさえ生き返れば…ただそれだけだった。
Ｇ：………。
Ｓ：でも今は違う。
僕は、君のアズへの思いは本物だと思う。
それに人形の解放はアストリッド自身の意志だった。
今君に宿っている彼女の魂は、君が無理矢理奪い取ったものじゃない。
彼女が自ら君に差し出したものだ。…そうだろ？
Ｇ：……………。
Ｓ：彼女は君たち精霊人形の幸福を心から願っていた。
そして、その願いそのものは僕も正しいと思う。
Ｇ：………！
Ｓ：………ふっ。
とはいえ、いくら何でも命までくれてやるのはやりすぎだと思うけどね。
まあ、そんなわけで、君たちの無事もアズの蘇生と同等に大事だと僕は考えてる。
もっともこの先は、２人の手ですべてを執り行うわけだから、僕には幸運を祈るくらいしかできないけど。
Ｇ：…………。
Ｓ：さてと。
……そろそろ始めるかい？
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（３）
〔黒背景〕
………今、何時…？
〔主人公の部屋〕
…明るい…。
…朝…？
でも…だるい…。
目は覚めたけど…起き上がりたくない…。
……………。
………？
あれ？
私……死んだんじゃないの…？
私は自分で自分の胸を突いて……。
この上掛けも、枕も、家具も、壁紙も。見慣れた…私の部屋だわ。
私、生きてる！
急に意識がはっきりしてきた。
ジルは…？
それからルディはどうなったの！？
私はベッドから跳ね起きた。
Ｈ：……………。〔無表情〕
主：！！
ルディ…！
ベッドの傍らにはルディが座っていた。
でもルディは…。
主：ルディ…？
Ｈ：……………。
私の呼びかけにルディは応えなかった。
目は虚ろで、石のように微動だにしない。
“あの日”できた顔の亀裂はきれいに直っていて、それはほっとしたけれど。
でも、これはまるで休眠中みたい…。
そうだ。
私は一体どれくらい眠っていたのだろう？
ほんの数時間？１日？…それとも数日？
まったくわからない。
〔ドアの開閉音〕
Ｓ：アストリッド！！
主：叔父さま！
叔父さまはまっすぐベッドまでやってくると、私を抱きしめた。
Ｓ：アストリッド…よかった…本当に…。
主：ごめんなさい…叔父さま、私…。
私のしたことは、どれほど叔父さまを心配させ、悲しませたことだろう…。
Ｓ：…いや、もういい。
君が帰って来てくれた、それだけで…。
主：……叔父さま…。
叔父さまのぬくもりと息づかいに、私は自分が間違いなく生きていることを感じた。
でも。私が生きているということはどういうことなのだろう…。
魂を失ったら、死んでしまうんじゃなかったの…？
主：ねえ、叔父さま…。
私はどうなっていたの？それからルディは？ジルは？
Ｓ：…そうだね、順を追って話そう。
そう言って叔父さまは、ベッドに腰を下ろすと話し始めた。
解放が行われたあの日、動けなくなった私とルディを、ジャックとウィルが連れ帰ってくれたこと。
それから数日後、ジルが自ら私に魂を返しに来たこと。
でもそのときは蘇生に失敗したこと。
それから、再度蘇生を試みたこと。
その結果、私は生き返ったこと。
そして、あの日から１ヶ月近くが過ぎようとしていること。
主：ねえ、叔父さま。ルディはどうなってしまったの？
まるで休眠中…ううん、違う。
あれから２週間以上が経ってるなら、凍結だわ。
Ｓ：……それが、実のところよくわからないんだ。
彼がこうなっているのは、アズと接蝕できなかったせいじゃないからね。
主：え？
Ｓ：蘇生の過程で、１度ルディの器にアズの魂を入れた。
それから、魂をアズの体に移そうとしたんだけど…そのとき、全部が君の体には入らなかった。
半分くらい入ったところで、君の体は魂を受け入れなくなってしまった。
すでに魂を十分受け入れられないほどに、肉体が衰弱していたのかもしれない。
主：………。
Ｓ：とにかく、入りきらなかった魂をそのままにしておくわけにはいかない。
身体に宿っていない魂は、そのままでは霧散してしまうからね。
それで、その半分になった魂をルディに戻した。
それが原因かどうかはわからないけど…とにかくその後、ルディは止まってしまった。
主：………！
Ｓ：あれからアズの方は少しずつ体温が上がって、脈も呼吸も戻ってきて、蘇生への予兆が見えるようになった。
だけどルディは止まったきりだった。
はっきり言って、今のルディが、休眠なのか、凍結なのか、それとも人間でいうところの“死”なのか。まったくわからない。
だから今はただ、そのままにしてあるんだ。
主：………。
Ｓ：…………。〔咳払い〕
まあ、とにかく。アズの目が覚めたことは喜ばしいことだ。
みんなもきっと喜ぶだろう。さっそく知らせに…。
ああ、そうだ。その前に食事の用意だな。何か食べたほうがいい。
報告はその後だ。
アズはまだこのまま休んでいるように。いいね。
主：はい。
〔サイラス退場・ドアの開閉音〕
眠っていたおよそ１ヶ月。
何も覚えていない。
私の最後の記憶は、胸の激痛だった。
その直後、意識が遠退いて何もわからなくなった。
私は改めてルディを見た。
Ｈ：……………。
ルディは、私が棺を開けた日と少しも変わっていなかった。
子供の頃、初めて見たルディは怖かった。
叔父さまと一緒に棺を開けたときには、美しいと思った。
そして今は…。
私は、ルディの頬を両手のひらで包んだ。
すべらかだけど、硬く冷たい人形の頬。
そしてそのまま、ルディの瞳を覗く。
私はこんなに彼の近くにいて、こんなに彼の目を見つめているのに。
彼と見つめ合うことはできなかった。
見つめているのは、ただ私１人だった。
主：ルディ…。
ルディは何も応えない。
もし私が、彼を抱きしめ、キスしても…あるいは、彼を突き飛ばしても。
彼はただされるがままだろう。
拒否もしなければ、抱きしめ返してもくれない。
すべてを受け入れているようで、すべてはすり抜けていく。
そう。ただの人形のように。
私は、ルディの冷たい額に自分の左手のひらを押し当てた。
ひとつ深呼吸して。
目を閉じる。
〔暗転〕
心をルディに向ける。
ルディを目覚めさせたあの日のように。
ルディ…。
お願い。
どうか戻ってきて…。
もう１度、その声を聞かせて…。
お願い。
ルディ…。
ルディ…！！
……………。
……………。
………………ルディ…。
？：お嬢さん。
再度のご指名、心より感謝いたします。
……！
聞き覚えのある声。
私が、１番聞きたかった声。
〔暗転明け〕
私は、目を開けた。
Ｈ：……………。〔微笑んでいる〕
サファイアの瞳が、私を見つめていた。
ルディ…。
……………。
ルディ、戻ってきてくれたのね…。
Ｈ：また会えてうれしいよ、アストリッド。
お日様みたいなきらきらした笑顔。
ああ、ルディ…ルディが本当に帰って来てくれたんだ…。
涙があふれていた。
でも、私は涙をぬぐうことさえできなかった。
私は、ただこの奇跡を受け止めることに精一杯だった。
ルディはゆっくりと立ち上がった。
そして、彼は私を強く…でもやさしく抱きしめた。
Ｈ：アストリッド、君は天使みたいな女の子だ。
でも、天国に帰るなんて僕が許さない。
君は僕と一緒に生きていくんだ。これからずっと…ずっとね！
私は、全身でルディを抱きしめた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
（４）
〔黒背景〕
私とルディが目覚めて約半月。
ルディと叔父さまの強い勧めもあって、私はこの半月間を静養に費やしていた。
体が怪我をしても回復するように、魂にも回復力があるのだそうだ。
もちろん体と同じように、魂の回復力にも限度はある。
でも今回の場合、その回復力によって半分となった魂は少しずつ元に戻り、私は生き返ることができた。
そして、ルディに戻された私の魂の半分もまた、彼の器の中で回復していたのだけれど。
人工物である彼の霊体は、蘇生の過程で受けた諸々の影響によってその働きが膠着状態に陥ってしまっていた。
そこへ、同じ魂を持つ私が彼に接したことでその膠着が解け、ルディは目覚めたのではないか。
……というのが、みんなの見解だった。
もっともこれらはすべて憶測であり、私たちが蘇った本当の理由を誰も確かめることはできなかった。
ただ、私たちはとても運がよかったことだけは間違いなかっただろう。
気がつけば、精霊人形と出会って３ヶ月以上が過ぎていた。
〔駅〕
私は汽車を待っていた。
手には旅行鞄。
そう。私がこの街へやって来たときに持っていた鞄だ。
Ｓ：今回はだいぶ遅れての新学期になったね。
主：ええ。でも大丈夫。
体もすっかり元気になったし、今ね、すごく頑張ろうって気持ちなの。
授業の遅れなんてすぐ取り戻せるわ。
Ｓ：はは、そりゃ頼もしいね。
私は学生生活に戻ろうとしていた。
しばらくここには来られない。
寂しいけれど私は学生だもの。
学業をおろそかにはできなかった。
今日はそんな私を見送りに、叔父さまと精霊人形たちは足を運んでくれていた。
振り返れば夢のような３ヶ月半だった。
命を宿した奇跡の人形、精霊人形。
私にとっては、彼らがもたらした喜びとときめきはもちろん、悲しみ、痛み…そして“死”さえもが、美しい夢のようだった。
Ｓ：…そろそろ時間だけど…遅れてるのかな。
そう言って叔父さまは時計を見た。
Ｗ：アストリッド。お前がオーナーになったばっかりに、今回のこの騒動だ。
まったく、うるせえったらなかったぜ。
……でもまあ。
これであいつも気が済んだことだろうからな。
一応は、良しとしといてやるぜ。
主：…ウィル。
Ｊ：…アストリッド。お前は、とても興味深い人間だな。
主：？
Ｊ：今回の件でのお前の行動は研究するに価する。
今後、もっとじっくり観察してみたいものだ。
主：…ジャック。
Ｉ：人形は人間に必要とされたからこそ作り出された。
それゆえに、人形は人間を求める。己の存在理由として。
しかし多くの人間にとって人形は、所詮よくできた玩具の１つに過ぎない。
主：…………。
Ｉ：しかし稀にいるのだ。人形に人間と同じ生命を見出す者が。
娘よ、願わくはその心、永久に人形と共にあらんことを。
主：…イグニス。
Ｇ：…アストリッド。君に改めて聞きたい。
君は本当に私を許してくれるのかい？１度は君の命を奪ったこの私を。
主：………………。
ねえ、ジル。
私は、あの日のあのことは必要なことだったと思うのよ。
あなたたち精霊人形にとっても、私たち人間にとっても。
あの日があったからこそ、ジルはこうして私たち人間のところへ戻ってきてくれたんでしょう？
Ｇ：…それはそうだが…。しかし。
主：ジル、どうか叔父さまをお願いね。
ジルがいてくれれば私も安心だわ。
Ｓ：お、なかなか一端な口をきいてくれるね、アズ。
主：叔父さま。
Ｓ：これからジルには僕の秘書としてバリバリ働いてもらいたいと思ってるからね。
今は見習いとして、特にビシビシしごくから覚悟しておいてくれよ。
Ｇ：ああ。
我がオーナー、サイラス・リードの期待に応えられるよう、誠心誠意励むことにしよう。
ジルが言うように、今、彼は叔父さまの人形だった。
そして彼は、叔父さまの秘書見習いという仕事を与えられていた。
叔父さまによると、私が眠っている間に凍結を迎えることになったジルは、叔父さまをオーナーとして指名したのだそうだ。
その話を聞いたときに私が感じたのは。
叔父さまは決してオーナーを快諾したわけではなかったようだ…ということだった。
オーナーになるということは、精霊人形の命を預かるということだ。
重い責任がオーナーには課せられている。
もし、叔父さまがジルのオーナーとなったら。
仕事の一環として外国を旅していた叔父さまは、その先々に彼を連れて行かなくてはならないことになるだろう。
なぜなら精霊人形は、オーナーから長く離れては生きられないのだから。
そういう現実的な事情も考慮すればなおさら、軽々しく承諾することはできなかったに違いない。
……でも。最終的に叔父さまはオーナーを引き受けてくれた。
私は偶然、精霊人形のオーナーになったけれど、叔父さまは十分考えた上でオーナーになることを選んでくれたはずだ。
だから大丈夫。きっと２人、仲良くやっていってくれるわ。
Ｈ：ジル、君って本当に精霊人形の鑑だよね。僕にはとても真似できないや。
でも、これでやっと僕もサイラスのお守りから解放されるよ。
Ｓ：………。〔咳払い〕
ルディ。これまではアズの“お手伝い”だったから気ままにやらせてたけど、これからはちゃんと責任感を持って仕事をするように。
僕は君を、屋敷の執事見習いとして雇ったんだからね。
アストリッドの人形でもなければ僕の人形でもない君があの屋敷で暮らすことを望むなら、屋敷のために働かなきゃならないってことをくれぐれも忘れないでくれよ。
「アストリッドの人形でもなければ、僕の人形でもない」
そう。
叔父さまが言うように、ルディは今、誰の人形でもなかった。
私の魂を取り入れたルディは、オーナーを必要としない精霊人形…つまり人間と接蝕せずに生きられる“解放された人形”となったのだった。
本来、オーナーは自分の魂で自分の人形を解放することはできない。
でも今回は、一度別の精霊人形の器に取り入れられることで何らかの影響を受け、そのためルディの器は、この魂が自分のオーナーの物だとは判断できなかったのではないか、とのことだった。
だから。
思いもよらない形で、ルディと私を繋いでいた“人形とそのオーナー”という絆は切れてしまったのだけれど。
私はとても満足だった。
ルディはこの先、自分自身の主となって、自分の心のままに生きていくだろう。
他の命あるものすべてがそうであるように。
Ｓ：しっかりがんばってくれよ、執事見習い君。
我が家の安全と快適は、君の双肩にかかってるんだからね。
Ｈ：はいはい。給料分くらいは働かせてもらいますよ、マスターサイラス。
Ｓ：ルディ。これまではともかく、今君は僕の屋敷の執事なんだから、それ相応の態度ってものがあるんじゃないかな。
Ｈ：……………。〔少し不満げ〕
…それは思い至らず、失礼いたしました。マスターサイラス。〔神妙な顔〕
何分、人ならぬ卑しい人形の身の上。
今後、悔い改め、心よりの忠誠を以て、貴殿にお仕え申し上げます故、これまでの数多のご無礼、どうぞお許しください。
……って、感じでどう？〔にっこり〕
Ｓ：……………。〔若干呆れ顔〕
ああ。とりあえず君は、執事ごっこの執事役は立派に務められそうだ。
まあ、それはさておき。
ホブルディ、ジル。僕は期待してるんだ。
君たち精霊人形と僕たち人間は、お互い、本物のパートナーになれるんじゃないかってね。
Ｈ・Ｇ：……………。
ジルは叔父さまの秘書という仕事を与えられた。
ルディはお屋敷の執事という仕事を与えられた。
２人ともまだ見習いという立場だったけれど、でもそれは、２人の存在が正式に認められたことの証のようで、私はうれしかった。
……私も頑張らなきゃ。
〔汽車の音〕
Ｓ：あ、やっと来たね。
轟音と共にやって来た汽車は、ブレーキ音を響かせながらゆっくり減速し、止まった。
まもなく車両から人が降りはじめ、入れ替わりに新しい乗客が乗り込んでゆく。
Ｗ：じゃあな。
Ｊ：では、またいずれ会おう。
Ｉ：お前が人形と共にある限り、再び会うこともあろうが…さらばだ。
Ｇ：……ごきげんよう、お嬢さん。
Ｓ：いろいろあったけど、まあ、今日で一区切りかな。
じゃ、向こうでもしっかりね。
体に気をつけて。
主：ええ、叔父さまも。
Ｈ：……………。
主：ルディ。ルディも元気で。
慣れないことが多くて大変だと思うけど、頑張ってね。
Ｈ：……うん。
主：…？
ルディ？
…何か、言いたそう…？
Ｈ：アストリッド、君にこれを。
主：え？
そう言って、私にルディはある物をわたした。
主：…これは…。
ルディが私の手のひらに載せたもの、それは。
彼のネジだった。
Ｈ：それは君にあげるよ。
僕にはもう、いらないものだから。
ほんの数日前、ネジはルディの項から抜け落ちた。
解放された人形に魂を固定するネジは必要ない。
このことによって、私たちはルディが解放された人形となったことを知ったのだった。
主：…ありがとう、ルディ
お礼を言って、私は改めて手のひらのネジに目を落とした。
今このネジは、かつてルディが私の人形であった頃の思い出の品だ。
“オーナーとその人形”という関係は終わりを告げたけれど、これからはまた別の、新しい絆が結ばれていくことだろう。
〔発車ベル〕
Ｓ：…さあ、アストリッド、そろそろ行かないと。
主：そうね…。みんな、今日は本当にありがとう。
また会える日を楽しみにしてるわ。
じゃあ、どうかお元気で。
私は汽車のデッキに立った。
一時別れるとしても、この先もまだ精霊人形たちとの繋がりは続くはずだ。
それがいつまで、どんな形で続くかわからないけれど…。
初秋の風が頬に触れた。
心地よさの向こうに、いずれ訪れる冬を予感させる風。
不安がないわけではない。
でも今は、希望の方がずっと勝っていた。
大丈夫。きっと、素晴しい未来が私たちを待っている。
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