第7章:解放、それから

(1)

〔リード邸・外観〕

 

〔呼び鈴〕

 

〔玄関(内)〕

J:…………。

 

I:…………。

 

S:…ジャック…。

  それから君は、イグニス…かな。

 

I:…サイラス・リード。あの娘の身内か。

 

S:君らがいったい、今さら何の用?

 

J:ジルに用がある。

  あれから3日だ。

  通常であれば、すでに休眠から覚めているはずだ。

 

S:……………。

 

J:サイラス。おまえも、事情はもう知っているのだろう?

 

S:…ああ。

  そう思ってて、ここに来るなんて…どういう神経をしているのか理解に苦しむよ。

  僕の我慢の限界がこないうちに、出て行ってもらえないかな。

 

J:俺はジルに用がある。

  おまえは取り次ぎさえすればいい。

 

S:僕はこの屋敷の主人だ。

  僕が敷居を跨がせないと言えば、客人は帰るしかないよ。

 

J:…………。

  取り次ぐ気はない、ということか。〔無表情〕

 

S:……………。

  君は、自分のしたことをいったいどう考えているんだい?

  多少なりとも、後悔とか反省とか、そういう気持ちで君はここにやって来たのかと僕は思ったんだけど、どうやらそれは間違いだったようだ。

  君の態度は、どう見ても良心の呵責に苛まれている人間のものじゃない。

 

J:……もう1度聞く。

  取り次ぐ気はないのか。

 

S:………!

  君さ…今、僕が言ったこと聞いてた?

 

J:当然だ。俺の耳は正常だからな。

  それよりだ。取り次ぐ気は…。

 

S:…………。〔ため息〕

  ああ、わかった、わかった。

  こっちの耳も正常なんでね。1度言えばわかる。

  ……いいよ、ジャック。取り次ごう。

  正直、僕は君らに即刻帰ってもらいたいところけど…アズは会いたがってるだろうからね。

 

J:………。

 

〔暗転〕

S:ジル、入るよ。

 

〔ドアの開閉音〕

 

〔暗転明け・主人公の部屋〕

G:……。〔ジャック、イグニスに目をやる〕

 

G:……………。〔興味なさそうに2人から目線をはずす〕

 

J:ジル。顔の傷は直ったようだな。

  あれは極めて表層的な傷ということか。

 

G:……………。〔無視〕

 

J:しかし、休眠中の人形が動くなど前代未聞だったぞ。

 

G:……………。〔完全無視〕

 

S:ジルはあれからずっとこんな調子でね。

  僕もほとんど口をきいてもらえない。

 

J:…アストリッドは?

 

S:そこだよ。

 

〔ベッドに横たわる主人公〕

 

S:僕が出張を終えて帰宅したとき、ウィルとホブルディが待っていてね。

  彼らから2人の身に起こったことを聞いた。

  戻ってきたアズは、とても死んでいるように見えなくて…。

  ……………。

  だって、今もまだ、触れば肌はあたたかいし、体もやわらかいんだ…!

  眠っているとしか思えなくて…こうしてここに寝かせてある。

 

J:……ジル。

  おまえに朗報だ。

 

G:……………。

 

J:俺は、そいつに魂を返す。

 

G:…!?

 

J:俺は、そいつを甦らせるつもりでここに来た。

 

G:……?

 

J:“あの日”までの俺は、自由を手に入れることが最優先だった。

  それゆえ、解放の鍵となる人間は、俺にとって「鍵」以上の価値を持ちえない、そう考えていた。

  ……だが。そいつは本当に不思議な娘だ。

  そいつの姿、声、仕草、感触は俺の探究心をいたく刺激する。

  特に、“あの日”のそいつの言動は、さらに新しい謎を俺に投げかけた。

  ………投げられた謎は解かねばなるまい。

 

G:…………。

 

J:解放の機会は、再びめぐってくる可能性がある。

  しかしそいつは、今、失ってしまえば金輪際取り戻すことが出来ないだろう。

  俺は、解放による自由より、そいつの復活を望む。

 

G:……!

 

S:魂を返すって、そんなこと可能なのかい?

 

I:事例はない。

  そもそも、1度解放された人形を再びただの人形に戻そうとする者などいなかった。

 

S:じゃあ、どうやって?

 

J:解放と同じ要領でいいだろう。

  つまり、俺が取り込んでいるアストリッドの魂を断霊剣で取り出し、そのままそいつの胸に押し込むという方法だ。

 

S:……とにかく、そのやり方で試すってこと?

 

J:そういうことになるな。

 

I:そんな方法で成功するとは私には思えんが…是が非でも決行すると言うのならば、さしあたりそれが妥当だろう。

  ただ、魂の摘出・移植は、魂自体は元より、身体にも直接干渉する危険な行為だ。

  人形であれ人間であれ、魂、あるいは身体に損傷を受ければ、生を保つことは出来なくなる。

  死を待つのみの人間側は試す価値があろうが、人形側にあるのはリスクだけだ。

 

J:イグニス、俺はそれを承知でここにやって来たことをおまえも知っているはずだ。

  可能性がゼロでないなら、それで十分だ。

 

G:………本気なのかい?

 

J:ああ。おまえも異存はないだろう。

  ならば、後は実行に移すだけだ。

 

〔暗転〕

………………。

 

 

〔暗転明け・リビング〕

 

S:……………。

 

J:……………。

 

I:……………。

 

G:……………。

  何故…?

  何故、アストリッドの体は、自分の魂を受け入れようとしない!?

 

S:…………。〔ため息〕

  とにかく失敗だ。

  ジャックから魂を取り出すところまでは順調だったけど…アズの体がそれを受け入れないとはね。

 

I:おそらく、鋲素が消失したせいだろう。

  原型魂は擬似魂と違い、肉体から分離すると鋲素が消失する。

  それは説明済みだったな、ジャック。

 

J:………。

  1度人形に取り込まれた原型魂の取得による人間の蘇生は過去に事例がない。

  ならば、不確定要素に賭けることも無意味ではなかったはずだ。

 

I:私も実験そのものを否定する気はない。

  しかしだ。

  まず、魂の定着には鋲素がなくては話にならない。

  原型魂であれ、擬似魂であれ、魂は鋲素によって受容素と結合し、それによって魂は、器、あるいは肉体に定着している。

  擬似魂が持つ疑似鋲素は、形状こそ受容素との結合に適当ではないが、器から分離しても消失しないところに特徴がある。

  それに対し、原型魂の持つ鋲素…。

 

S:ちょっと待った。

  なんだか、具体的で専門的な話になってきたね。

  僕も多少は精霊人形の仕組みについて知ってるつもりだけど…。

  君たち精霊人形は、人間によって“生産”されてたんだろ?

  ということは、精霊人形の仕組みは、それ相当に解明されていたってことなんだよな?

  人形の器、擬似魂、人間の肉体、本物の魂、断霊剣…。

  過去に成功例がないというなら、アズの蘇生には、それら知識を総動員して取り組むべきじゃないのか?

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(2)

<数日後>

 

〔リビング〕

S:………………。

 

G:サイラス。何をしているのかな?

 

S:ん?

  ああ、精霊人形に関する知識をまとめてたんだ。

  蘇生法も一応方針が固まったことだしね。

 

……………………………………………………………………………………………………………

サイラスのノート

……………………………………………………………………………………………………………

<精霊人形の仕組み>

人間に限らず、すべての生物は肉体(実性物質)に魂(霊性物質)が宿ることで「生」を得ている。

そして肉体に魂が宿るためには、両者を結びつける霊性物質「結合素」が必要である。

魂側の結合素を「鋲素」、肉体側の結合素「受容素」といい、この2つが結びつくことで肉体(実性物質)は「生命」を持つことが出来る。

精霊人形もまた疑似結合素を持つが、疑似魂をそのまま器に移植しようとしても、疑似魂を器に定着させることは出来ない。

なぜなら、疑似結合素は結合に適した形状を持たないからである。

そのため、不定形の疑似鋲素を人間の受容素に押し込み、結合に適した「型」を取る必要がある。

さらに疑似魂は、この「型」を維持するための霊性物質「固着物質」を持たないため、これも人間の魂(原型魂)から取り込む必要がある。

定着に適した鋲素の形状と、その形状維持のための固着物質を得て、初めて精霊人形は「生命」を持つことが可能である。

ただし、固着物質は時間の経過と共にその固着力が衰えるため、定期的に人間から取り込む必要がある。それが接蝕である。

 

<仕組みをふまえて>

魂を奪われた人間を蘇生するためにはどうすればよいか?

肉体に魂を再び宿らせることが必須であるが、単純に魂を肉体に押し込むだけでは、定着は不可能なようである。

原因として考えられるものは2つ。

1つは鋲素が失われていること。

疑似鋲素は器から分離しても失われないが、人間の鋲素は肉体から分離すると失われる。

しかし、鋲素は魂内で均一化される性質がある。

そのため、疑似魂を内包する器に取り込まれた原型魂は、疑似魂に内在する疑似鋲素を取り込んでいる可能性が十分ある。

となると、鋲素を持ちながら肉体に魂を定着させられない理由は、もう1つの原因、鋲素の型が合わないからだと考えられる。

鋲素は人間1人1人その形状が異なり、鋲素と受容素はいわば鍵と錠の関係にある。(ちなみに、接蝕がオーナーとのみ可能な理由も、このことが関係している。)

現在、原型魂に取り込まれている鋲素の型はジャックのオーナーのものであるため、アストリッドの受容素は魂を受け入れられない。

ならば、彼女と同じ型の鋲素を原型魂に取り込ませれば定着は可能となるはずである。

そして、彼女と同じ型の鋲素は、彼女の精霊人形であるジルが持っている。

 

<精霊人形解放に使える魂の条件>

・オーナー経験者であること。つまり過去に精霊人形と接蝕したことがある者。

・年齢が16歳以上20歳未満であること。

・魂の提供を受ける人形と異性であること。

……………………………………………………………………………………………………………

 

S:それなりに勝算はあると僕は思うけど…。

  しかし、推測の上の推測じゃ、運任せと大差ないかもな…はは。

  …………。〔ため息〕

 

G:だが、もうこれ以上は待てないだろう。

  魂を失った肉体は、いわば「仮死」とでも言うべき状態で、完全な「死」でこそないが、いずれは朽ち、死に至る。

  ……アストリッドの体が、おそらく、もうそう長くは持たない。

 

S:そうなんだよな。

    リスクは覚悟の上で踏み切るしかない…か。

 

〔ドアの開閉音〕

 

J:……。

 

G:…………。

 

S:ジャック。あれから、何かわかったかい?

 

J:いや…。

 地下室にあったいくつかの本を当たったが、どれも似たようなものだ。

 

S:…そうか。

 

G:……君は、物知りのようで案外そうでもないのだね。

 

J:過去に例のない処置をしようというのだ。

  不確実なことが多いのはやむを得んだろう。

 

G:………ジャック、君にとって彼女はいったい何なんだい?

 

J:………?

 

G:彼女の魂を奪っておきながら、今度は返すと言う。

  何故?彼女が君の興味をそそるからだって?

  …………。〔冷笑〕

  ………何だい、その理由。

  彼女は君の実験動物なのかい?

 

J:……………。

 

G:生身の肉体から魂を抉り出すなど…どれだけの負担が、彼女の体と魂にかかったか私には想像もつかないが…。

  彼女の体、心、魂は…あの行為のせいでズタズタになったはずだ。

  傷は、受けた程度や場所によっては後遺症が残る。

  こんなに目茶目茶にされてしまって…魂さえ彼女の体に定着すれば…本当に元通りの彼女に戻ると…君は本気で信じているのかい?

 

J:…………!

  …………………。

 

S:…………。〔咳払い〕

  悪いけどジル、お茶を入れてきてくれないかな。

  根詰めてたら、喉渇いちゃってさ。

  はは…。〔作り笑い〕

  ……………。

  ………なあ、頼むよ、ジル。

 

G:………………。

 

〔ジル退場〕

 

J:…………。

 

S:…………。〔ジャックを見ている〕

 

S:……“欲望”ってさ。〔ジャックから目を逸らして〕

 

J:……?

 

S:向こうからやって来るんだよな。

 

J:…………?

 

S:頼みもしないのに向こうから勝手にやって来て、強引につかまれて、引きずられる。

  こっちの事情なんてお構いなしだ。

  “どうして?”とか“何のため?”なんて問いかけも、こいつの前では無意味でさ。ただ、“欲しい”それだけ。

  それを手に入れるまでは、どんな犠牲も「仕方がない」の一言で片づけられる。

  ……ま、犠牲にされた方はたまったもんじゃないだろうけどね。

 

J:……。

  それは、俺のことを言っているのか?

 

S:さあ。僕は君のこと、たいして知らないからね。

  これは僕自身の話だ。

  だから、今、天誅を喰らってる気分だよ。

 

J:……?

 

S:自分のことならいい。

  人に嵌められようが、一文無しになろうが、体を壊そうが、自業自得と笑える。

  でも、こういうのはダメだ。笑えない。

  今回の件と、僕のこれまでの行いとは直接関係がないのはわかってる。

  だけどこういうとき思うんだよな。素行が悪いとさ。

  因果応報。こんなことになったのは自分のせいじゃないかってね。

 

J:……?

 

S:自分で言うのもなんだけど。

  僕は自分で事業を起こして、自分の力で“一角の”地位と財を手に入れた。

  だけど、尊敬と賞賛と感謝だけを集めて、ここまできたわけじゃないからね。

 

J:……………。

 

S:…さてと。僕はもうしばらく、ここでのんびりしていくよ。

  ジルがお茶を入れてきてくれるはずだしね。

  ジャック、君は退散した方がいいね。

  今、彼に君と仲良くしろって言えるほど、僕は神経が図太くないんでね。

  まあ、あまり彼を刺激しないでやって欲しいな。

 

J:………。〔目を伏せる〕

  ……………。

 

〔ジャック退場〕

 

 

<翌日>

 

〔アストリッドの部屋〕

S:…全員、集まっているね。

 

人形たち:………。

 

S:じゃあ、これからアストリッドの蘇生を始める。

  手順を確認しておこう。

  まず、ジャック。断霊剣を使って、君からアズの魂を抜く。

  その魂を、ジルに一旦入れて、ジルの鋲素を取り込ませる。

  それから、魂を再び抜いて、ジルからアズの体に移す。

  これだけだ。

 

J:………。

 

G:………。

 

S:ジャックから魂を抜くところまでは、まあ大丈夫だろう。

  問題はそこから先…取り出した魂をジルの器が受け入れるかだ。

  もしも受け入れなければ終了だ。

  魂はジャックに戻す。今さらいらないとは言わせない。

 

J:ああ。異論はない。

 

S:それから、ジルから抜いた魂を、アズの体が受け入れなくても終了だ。

  そのときはジルが魂を受け取って、ジルが解放された人形となる。

  いいね。

 

G:………。

  そうだね、それが私に出来るせめてもの償いだろう。

 

S:…………。〔ため息〕

  なあ、2人とも。本当にいいのかな?

 

G:何がだい?

 

S:もしかしたら、どちらかが死ぬかもしれない。

  最悪、2体の人形が再起不能となって、アズも生き返らない…その可能性もある。

  それでも…。

 

G:私はかまわない。

 

J:俺もだ。

 

S:……そうか。

 

J:……サイラス。

 

S:ん?

 

J:おまえは、あいつさえ生き返ればいいのではないのか?

 

S:……………。

  こんなことになって、僕は、彼女に精霊人形を引き合わせたことを後悔した。

  特にジャック、君のことは憎んでたよ。

  君こそが、アズの命を奪った張本人なんだからね。

  だから、君がアズに魂を返したいと言ったときは、とにかくチャンスだと思った。

  あのときもイグニスは言ってただろう?人形側にはリスクしかないって。

  でも、そのとき僕はそんなことはかまわないと思っていた。

  人の命を奪った人形が死のうが生きようが、どうでもいい。

  アストリッドさえ生き返れば…そう思っていた。

 

J:………。

 

S:でも、今は違う。

  僕は、君のアズへの思いは本物だと思う。

  それに人形の解放は、アストリッド自身の意志だった。

  今君に宿っている彼女の魂は、君が無理矢理奪い取ったものじゃない。

  彼女が自ら君に差し出したものだ。…そうだろ?

 

J:……………。

 

S:彼女は君たち精霊人形の幸福を心から願っていた。

  そして、その願いそのものは僕も正しいと思う。

 

J:………!

 

S:………ふっ。

  とはいえ、いくらなんでも命までくれてやるのはやりすぎだと思うけどね。

  まあ、そんなわけで、君たちの無事もアズの蘇生と同等に大事だと僕は考えてる。

  もっともこの先は、2人の手ですべてを執り行うわけだから、僕には幸運を祈るくらいしか出来ないけど。

 

J:…………。

 

S:さてと。

  ……そろそろ始めるかい?

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(3)

〔黒背景〕

………今、何時…?

 

 

〔主人公の部屋〕

…明るい…。

…朝…?

 

でも…だるい…。

目は覚めたけど…起き上がりたくない…。

 

……………。

………?

 

あれ?

私……死んだんじゃないの…?

私は自分で自分の胸を突いて……。

 

この上掛けも、枕も、家具も、壁紙も。見慣れた…私の部屋だわ。

 

私、生きてる!

 

急に意識がはっきりしてきた。

 

ジャックは…?

それから、ジルはどうなったの!?

 

私は、ベッドから跳ね起きた。

 

G:……………。〔無表情〕

 

主:!!

  ジル…!

 

ベッドの傍らには、ジルが座っていた。

でもジルは…。

 

主:ジル…?

 

G:……………。

 

私の呼びかけに、ジルは応えなかった。

目は虚ろで、石のように微動だにしない。

“あの日”出来た顔の亀裂はきれいに直っていて、それはほっとしたけれど。

でも、これはまるで休眠中みたい…。

 

そうだ。

私は一体どれくらい眠っていたのだろう?

ほんの数時間?1日?…それとも数日?

まったくわからない。

 

〔ドアの開閉音〕

 

S:アストリッド!!

 

主:叔父さま!

 

叔父さまは真っ直ぐベッドまでやってくると、私を抱きしめた。

 

S:アストリッド…よかった…本当に…。

 

主:ごめんなさい…叔父さま、私…。

 

私のしたことは、どれほど叔父さまを心配させ、悲しませたことだろう…。

 

S:…いや、もういい。

  君が帰って来てくれた、それだけで…。

 

主:……叔父さま…。

 

叔父さまのぬくもりと息づかいに、私は自分が間違いなく生きていることを感じた。

でも。私が生きているということはどういうことなのだろう…。

魂を失ったら、死んでしまうんじゃなかったの…?

 

主:ねえ、叔父さま…。

  私はどうなっていたの?それからジルは?ジャックは?

 

S:…そうだね、順を追って話そう。

 

そう言って叔父さまは、ベッドに腰を下ろすと話し始めた。

 

解放が行われたあの日、動けなくなった私とジルを、ウィルとホブルディが連れ帰ってくれたこと。

それから数日後、ジャックが自ら私に魂を返しに来たこと。

でもそのときは、蘇生に失敗したこと。

それから、再度蘇生を試みたこと。

その結果、私は生き返ったこと。

そして、あの日から1ヶ月近くが過ぎようとしていること。

 

主:ねえ、叔父さま。ジルはどうなってしまったの?

  まるで休眠中…ううん、違う。

  あれから2週間以上が経ってるなら、凍結だわ。

 

S:……それが、実のところよくわからないんだ。

  彼がこうなっているのは、アズと接蝕出来なかったせいじゃないからね。

 

主:え?

 

S:蘇生の過程で、1度ジルの器にアズの魂を入れた。

  それから、魂をアズの体に移そうとしたんだけど…そのとき、全部が君の体には入らなかった。

  半分くらい入ったところで、君の体は魂を受け入れなくなってしまった。

  すでに魂を十分受け入れられないほどに、肉体が衰弱していたのかもしれない。

 

主:………。

 

S:とにかく、入りきらなかった魂をそのままにしておくわけにはいかない。

  身体に宿っていない魂は、そのままでは霧散してしまうからね。

  それで、その半分になった魂をジルに戻した。

  それが原因かどうかはわからないけど…とにかくその後、ジルは止まってしまった。

 

主:………!

 

S:あれからアズの方は、少しずつ体温が上がって、脈も呼吸も戻ってきて、蘇生への予兆が見えるようになった。

  ジルの方は止まったきりだった。

  はっきり言って、今のジルが、休眠なのか、凍結なのか、それとも、人間でいうところの“死”なのか。まったくわからない。

  だから、今はただ、そのままにしてあるんだ。

 

主:………。

 

S:…………。〔咳払い〕

  まあ、とにかく。アズの目が覚めたことは喜ばしいことだ。

  皆もきっと喜ぶだろう。さっそく知らせに…。

  ああ、そうだ。その前に食事の用意だな。何か食べた方がいい。

  報告はその後だ。

  アズはまだこのまま休んでいるように。いいね。

 

主:はい。

 

〔サイラス退場・ドアの開閉音〕

 

眠っていたおよそ1ヶ月。

何も覚えていない。

私の最後の記憶は、胸の激痛だった。

その直後、意識が遠退いて何もわからなくなった。

 

私は、改めてジルを見た。

 

G:……………。

 

ジルは、棺を開けた日と少しも変わっていなかった。

子供の頃、初めて見たジルは怖かった。

叔父さまと一緒に棺を開けたときには、美しいと思った。

そして今は…。

 

私は、ジルの頬を両手のひらで包んだ。

 

G:……………。

 

すべらかだけど、硬く冷たい人形の頬。

 

そしてそのまま、ジルの瞳を覗く。

 

W:……………。

 

美しく輝く琥珀の瞳。

そして、虚ろで冷たい人形の瞳。

 

主:ジル…。

 

ジルは何も応えない。

もし私が、彼を抱きしめ、キスしても…あるいは、彼を突き飛ばしても。

彼はただされるがままだろう。

拒否もしなければ、抱きしめ返してもくれない。

すべてを受け入れているようで、すべてはすり抜けていく。

そう。ただの人形のように。

 

私は、ジルの冷たい額に自分の左手のひらを押し当てた。

1つ、静かに深呼吸をして、目を閉じる。

 

〔暗転〕

暗がりと静寂の中。

私は心をジルに向けた。

ジルを目覚めさせたあの日のように。

 

ジル…。

お願い。

どうか戻ってきて…。

もう1度、その声を聞かせて…。

お願い。

 

ジル…。

 

ジル…!!

 

……………。

 

……………。

 

………………ジル…。

 

?:…姫、帰ってきてくれたのだね…。

 

……!

 

聞き覚えのある声。

私が、1番聞きたかった声。

 

その声に私は目を開けた。

 

〔暗転明け〕

G:……………。〔微笑んでいる〕

 

琥珀の瞳が、やさしく私を見つめていた。

 

ジル…。

……………。

ジル、戻ってきてくれたのね…。

 

涙が溢れていた。

でも、私はそれを拭うことさえ出来ずにいた。

私は、ただこの奇跡を受け止めることに精一杯だった。

 

ジルはゆっくりと立ち上がると。

涙にぬれた私の頬をその手で包んだ。

 

G:アストリッド…私の声が聞こえるかい?

 

私は頷いた。

 

G:私の姿が、ちゃんと見えているかい?

 

私は頷いた。

 

G:アストリッド…私の名前を…。

 

主:……ジル。

  ………ごめんなさい…ジル。

  …いっぱい心配かけて…本当に…。

 

ジルはゆっくりと首を横に振った。

そして、目を閉じ。

深く息を吸い込むと。

 

G:……………。

 

私を強く…でもやさしく抱きしめた。

 

G:お帰り…アストリッド。

  私の、愛しい姫…。

 

私は、「ただいま」を言う代わりに。

全身で、ジルを抱きしめ返した。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(4)

〔黒背景〕

私とジルが目覚めて約半月。

ジルと叔父さま、2人の強い勧めもあって、私はこの半月間を静養に費やしていた。


体が怪我をしても回復するように、魂にも回復力があるのだそうだ。

もちろん体と同じように、魂の回復力にも限度はある。

でも今回の場合、その回復力によって半分となった魂は少しずつ元に戻り、私は生き返ることが出来た。

そして、ジルに戻された私の魂の半分もまた、彼の器の中で量的な回復はしていたのだけれど。

人工物である彼の霊体は、蘇生の過程で受けた諸々の影響によってその働きが膠着状態に陥ってしまっていた。

そこへ、同じ魂を持つ私が彼に接したことでその膠着が解け、ジルは目覚めたのではないか。

……というのが、皆の見解だった。

 

もっともこれらはすべて憶測であり、私たちが甦った本当の理由を誰も確かめることは出来なかった。

ただ、私たちはとても運がよかったことだけは間違いなかっただろう。


気がつけば、精霊人形と出会って3ヶ月以上が過ぎていた。


 

〔駅〕

私は汽車を待っていた。

手には旅行鞄。

そう。私がこの街へやって来たときに持っていた鞄だ。


S:今回はだいぶ遅れての新学期になったね。


主:ええ。でも大丈夫。

  体もすっかり元気になったし、今ね、すごく頑張ろうって気持ちなの。

  授業の遅れなんてすぐ取り戻せるわ。

 

S:はは、そりゃ頼もしいね。


私は学生生活に戻ろうとしていた。

しばらくここには来られない。

寂しいけれど私は学生だもの。

学業をおろそかには出来なかった。


振り返れば夢のような3ヶ月半だった。

命を宿した奇跡の人形、精霊人形。

私にとっては、彼らがもたらした喜びとときめきはもちろん、悲しみ、痛み…そして“死”さえもが、美しい夢のようだった。

 

S:…そろそろ時間だけど…遅れてるのかな。


そう言って叔父さまは時計を見た。


H:ねえ、アストリッド。僕は、正直びっくりしたよ。


主:?


H:こんな天使みたいな人間がいるなんてね。

  人間なんて1人残らず身勝手で、汚れたものだと思ってた僕にとって、この事実は衝撃的ですらあったよ。

  ふふっ。これからは、ちょっと人間の見方を変えなきゃいけないね。

 

主:…ルディ。

 

W:アストリッド。おまえがオーナーになったばっかりに、今回のこの騒動だ。

  まったく、うるせえったらなかったぜ。

  ……でもまあ。

  これであいつも気が済んだことだろうからな。

  一応は、良しとしといてやるぜ。


主:…ウィル

 

I:人形は人間に必要とされたからこそ作り出された。

  それゆえに、人形は人間を求める。己の存在理由として。

  しかし多くの人間にとって人形は、所詮よく出来た玩具の1つに過ぎない。

 

主:…………。

 

I:しかし稀にいるのだ。人形に人間と同じ生命を見出す者が。

  娘よ、願わくはその心、永久に人形と共にあらんことを。

 

主:…イグニス。

 

J:……アストリッド。

  おまえは一見、すっかり元通りになったように見えるが…。

  おまえが心身に深い傷を受けたという事実は、生涯消えることはないだろう。

 

私が受けた傷。

…それは、私の将来に暗い影を落とすものなのだろうか…。

 

J:俺はその責めを負って、おまえの命がある限り、おまえに付き添うことを約束する。

 

主:……ジャック。

 

「解放」は私自身の望みでもあったから、ジャックに何か償って欲しいなんて思っていなかったけれど。

 

ジャックのその気持ちはうれしかった。

 

G:だが君は、彼女の人形ではないだろう?

 

J:そうだ。俺のオーナーはサイラスだ。

  しかし、サイラスがアストリッドの身内である以上、あいつの側にいるということは、そいつの側にいることにもなるはずだ。

 

S:ま、結果、そういうことになるかな。

  ただ、まずは僕のために働いてもらいたいね、秘書見習い君。

 

2人が言うように、今、ジャックは叔父さまの人形だった。

そして彼は、叔父さまの秘書見習いという仕事を与えられていた。


叔父さまによると、私が眠っている間に凍結を迎えることになったジャックは、叔父さまをオーナーとして指名したのだそうだ。


その話を聞いたときに私が感じたのは。

叔父さまは決してオーナーを快諾したわけではなかったようだ…ということだった。

 

オーナーになるということは、精霊人形の命を預かるということだ。

重い責任がオーナーには課せられている。

もし、叔父さまがジャックのオーナーとなったら。

仕事の一環として外国を旅していた叔父さまは、その先々に彼を連れて行かなくてはならないことになるだろう。

なぜなら精霊人形は、オーナーから長く離れては生きられないのだから。

そういう現実的な事情も考慮すればなおさら、軽々しく承諾することは出来なかったに違いない。


それから、やっぱり今回の出来事…彼が私にしたこと…も、叔父さまが快諾出来なかった理由だったろうと思う。

特にジャックが叔父さまを指名したとき、私はまだ生死の境をさまよっていたのだし。

叔父さまに彼を拒む理由はあっても、彼の望みを聞き入れなくてはならない理由はなかったと思う。


……でも。最終的に叔父さまはオーナーを引き受けてくれた。

私は偶然、精霊人形のオーナーになったけれど、叔父さまは十分考えた上でオーナーになることを選んでくれたはずだ。

だから大丈夫。きっと2人、仲良くやっていってくれるわ。


S:そうそう、ジルにもしっかりやってもらわないとね。

  僕らがいない間は、君に屋敷を預けるんだから。

 

G:ああ。承知している。

  私が解放された人形である以上、私が彼女の側にいるためにはそれなりの理由が必要だろう。

  執事として…いや、私はまだ見習いの立場だったね。

  とにかく、あの屋敷の留守を預かる者として、務めを果たさせてもらうよ。マスターサイラス。


「私が解放された人形である以上…」

ジルが口にしたように、私の魂を取り入れた彼は、オーナーの支配下にある普通の精霊人形から、オーナーを必要としない精霊人形…つまり人間と接蝕せずに生きられる“解放された人形”となったのだった。

 

本来、オーナーは自分の魂で自分の人形を解放することは出来ない。

にも関わらず、今回ジルが解放されたのはなぜか?

私たちが甦った理由同様、さだかなことはわからない。だけど、それでも理由として考えられるのは、1度別の精霊人形の器に取り入れられることで何らかの影響を受け、そのためジルの器は、この魂が自分のオーナーの物だとは判断出来なかったからではないか、ということだった。


だから。

思いもよらない形で、ジルと私を繋いでいた“人形とそのオーナー”という絆は切れてしまったのだけれど。

私はとても満足だった。

ジルはこの先、自分自身の主となって、自分の心のままに生きていくだろう。他の命あるものすべてが、そうであるように。


S:うん。よろしく頼むよ。我が家の安全と快適は君の双肩にかかってるんだからね。

  なあ、ジル、ジャック。僕は精霊人形に期待しているんだ。

  君たち精霊人形と僕たち人間は、お互い、本物のパートナーになれるんじゃないかってね。

 

G・J:……………。


ジャックは叔父さまの秘書という仕事を与えられた。

ジルはお屋敷の執事という仕事を与えられた。

2人ともまだ、見習いという立場だったけれど、でもそれは、2人の存在が正式に認められたことの証のようで、私はうれしかった。

……私も頑張らなきゃ。

 

J:……ふっ。

  人間と言うものは、嫌っている者には非協力的だが、逆に好意を持っている者には損得を度外視してでも協力的になるものだ。

  サイラス、おまえによく仕えれば、アストリッドの機嫌も取れるだろう。

  アストリッドに気に入られれば、あいつも俺の研究に協力してくれるに違いない。

 

………?

私が、ジャックの研究に協力…?

???

 

G:…………。〔咳払い〕

  ……姫の前で、そういう不埒な考えを口に出すのは、厳に慎んでもらいたい。


S:……君がアズを大切に思ってくれるのは歓迎するけど。

  僕の姪をそういう邪な目で見るのは、本当にやめてくれ。


「不埒な考え」?「邪な目」?

……………?

……………。

…………!!

 

J:真理の追究が何故、「不埒」で「邪」なのだ?

  そうは思わないか、アストリッド。

 

主:…………………。

 

……そういう研究の協力は、たぶん永久に出来ないと思う…。

 

〔汽車の音〕


S:あ、やっと来たね。


轟音と共にやって来た汽車は、ブレーキ音を響かせながらゆっくり減速し、止まった。

まもなく車両から人が降りはじめ、入れ替わりに新しい乗客が乗り込んでゆく。

 

W:じゃあな。

 

H:元気でね。

 

I:…さらばだ。

 

J:…また会える日を待っている。

 

S:いろいろあったけど、まあ、今日で一区切りかな。

  じゃ、向こうでもしっかりね。

  体に気をつけて。

 

主:ええ、叔父さまも。

  ジャック、どうか叔父さまをよろしくね。

 

J:了解した。

 

G:……………。

 

主:ジル。ジルも元気で。

  慣れないことが多くて大変だと思うけど、頑張ってね。

 

G:……ああ。

  ………………。

 

主:…?


ジル?

…何か、言いたそう…?

 

G:アストリッド、君にこれを。


主:え?


そう言って、私にジルはある物をわたした。


主:…これは…。

 

私の手のひらにジルが載せたもの、それは。

彼のネジだった。

 

G:それは、君に持っていて欲しい。

  今の私には必要のないものだが…私たちを繋いでいた、大切なものだったのだからね。

 

ほんの数日前、ネジはジルの項から抜け落ちた。

解放された人形に、魂を固定するネジは必要ない。

このことによって、私たちはジルが解放された人形となったことを知ったのだった。


主:…ありがとう、ジル。

 

お礼を言って、私は改めて手のひらのネジに目を落とした。


今このネジは、かつてジルが私の人形であった頃の思い出の品だ。

“オーナーとその人形”という関係は終わりを告げたけれど、これからはまた別の、新しい絆が結ばれていくことだろう。

 

〔発車ベル〕


S:…さあ、アストリッド、そろそろ行かないと。

 

主:そうね…。皆、今日は本当にありがとう。

  また会える日を楽しみにしてるわ。

  じゃあ、どうかお元気で。

 

私は汽車のデッキに立った。

一時別れるとしても、この先もまだ精霊人形たちとの繋がりは続くはずだ。

それがいつまで、どんな形で続くかわからないけれど…。

 

初秋の風が頬に触れた。

心地よさの向こうに、いずれ訪れる冬を予感させる風。


不安がないわけではない。

でも今は、希望の方がずっと勝っていた。

大丈夫。きっと、素晴らしい未来が私たちを待っている。
  

 

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